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納得の構造 [本(論理思考]

『納得の構造』
渡辺雅子(教育社会学)
東洋館出版社(2004)


日米小学校の文章比較・叙述の順番から文化の特徴を解明する。

『納得の構造』 (小田中直樹[本業以外]ネタ帳)で、
面白そうなので読んだ。

日本で成績に問題のなかった生徒がアメリカでは学習障害に疑われた。
その謎が、文章の書き方の違いにあった!

アメリカ児童の作文は因果律による。総括が不可欠だ。
まず総括を書いてなぜそうなったのか説明するのである。
アメリカ人は一連の出来事を並べるだけでは不十分な説明と感じる。
またエッセイを発表するとその後に批評会があるという。

私の知る限り、これは中国でも同じようだ。
中国語の作文練習で何かを描写したことを書くと、
中国人に"それで何が言いたいの"と聞かれることがあった。
また、日本の文学作品について聞くと、
"何が言いたいのかわからない"ということがあった。
全体として総括され何か主張がないと不自然に感じるようだ。
また、中国でも学級で作文の批評会があり、
その思想性を問題にするそうだ。
韓国ではどうだろうか? 今度、聞いてみよう。

英文法のbe going toは15世紀に発明された。
文法の変化は生活や経験の変化を表しているという。
言語の変化は文化や社会の変化の後に来るのだ。
すなわち、言語を社会の変化の理由と考えるのは間違いなのだ。
例えば、印欧語の冠詞が科学を生んだという人がいるが、
言語学者池上嘉彦は、冠詞の有無は、
対象が具体的個体か抽象的なものかではなく
話し手の主体的な対象をどう捉えるかという問題と述べている。
冠詞の出現も文化に要求されて生まれたのである。

日米の歴史教科書を比較する。
アメリカは日本の15倍の質問がある。1頁あたりでも5倍である。
教師が定めた結果の原因を過去に遡って見つける訓練をするのが特徴だ。
日本では、時系列に従って理解するのに対し、
アメリカでは、因果関係を考えて、過去に遡るのである。

この因果関係を遡る考えの究極の姿が、
進化論であったり宇宙のビッグバンなどであろう。
もうすぐ『神は妄想である』の日本語訳が出る進化生物者、
リチャード・ドーキンスの
『祖先の物語(上)-ドーキンスの生命史/リチャード・ドーキンス/小学館/2006』
『祖先の物語(下)-ドーキンスの生命史/リチャード・ドーキンス/小学館/2006』
は、何と現在から過去へと遡るように描かれているのだ。
これぞまさに因果思考の究極の姿であろう。

とはいえ、因果関係とは何なのかは難しい。
哲学者ヒュームは、
時間的に連続した二つの出来事が反復したときに因果を認めるとした。
after this, therefore because of this
(その後に起こったから原因はそれだ。)
は、論理的に誤った推論だが、それが繰り返されると因果と思うのだ。

アメリカのエッセイの基本パターンは、五段落エッセイ。
まず主張して、次ぎに3つの証拠を挙げ、結論を述べる。
また、アメリカの歴史授業では、
決断、目的、時間、分析などがキーワードになるようだ。

西洋を一つの文化にまとめるのは演説だという。
主張、証拠、結論というエッセイのパターンは、
演説文の原稿ではないだろうか?

なぜアメリカでは演説が重視されるのか?
おそらくはその国内の民族の多様性から、求心力が必要だからだろう。
今、中国がそれと似た国語教育をしているのも、
同じく多民族国家として求心力を求めているからではないか。

丸山真男の述べる日本人の歴史意識
歴史は作られたり生まれたりするものでなく自然に成り行くもの。
これは言語学者池上嘉彦の、
「なる」型言語の日本語と「する」型言語の英語という考えに似ている。
日本人の文化意識がこのような言語を求めるのだろう。

英語では話し手の今ここが基準である。
対して、日本語ではある行動の完了の前後の順序が基準となる。
日本では過去の出来事を現在完了の出来事として認識する。
事象の完了の相に注目している。
対象を叙述する基準点が、英語では話者なのに対し、
日本語では、対象そのものなのである。

アメリカでは分析力が重視され、自身の決断が求められるのに対し、
日本では共感力が重視される。
日本の良い作文は、生き生きとした気持ちの表現があるもの。
先生は子どもの作文の批判をしない。
作文を批判すると子どもは本音を書かなくなるという。
作文で重要なことは心の目を養うことという。
そして日本の評価対象は内面的な発達と態度という。

事象を分析するには、
(a).その出来事を描写して客観と主観を入れ替える
(b).過去の出来事から一貫性を読みとる
(c).類似する例を比較して共通性を読みとる
(d).内部の構造から必然的なシステムを取り出す
(e).未来を推定しその分析の持つ力を確認する

という5つの方法がある。
日本の教育では、(a)と(b)が重視され、
アメリカの教育では、(d)と(e)が重視されているということだ。

・今日の一言
その後に起こったから原因はそれだ。
After this, therefore because of this.
까마귀 날자 배 떨어진다.(カラスが飛んだら梨が落ちる)
在它之后,所以是因它而发生。

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