勘の研究(講談社学術文庫) [本(心理学]
『勘の研究』
黒田亮(文献学、東洋心理学)
講談社学術文庫(1980)
アフォーダンスに結びつく戦前日本の研究、文学分析が面白い。
識と覚という概念を提唱している。
覚とは勘の働きであり、それを芸能や剣法の極意、
禅の悟り、老荘哲学に見い出す。
修行の結果、身体全身に行き渡った心が本心。
身につくということである。
沢庵作の太阿記に不動智を体得した剣士の働きというのがある。
そこには拘泥から解脱した姿がある。
剣術は心体自然の応用、往くに形なく来るに跡がない、
馬は人を忘れ人は馬を忘れる。
『荘子』視之無形,聽之無声,謂之冥冥、
これを見るに形なく、これを聞くに声なく、これを冥冥という。
術を究めると意識的感覚を越えた次元に到達するのである。
儒教の『中庸』不見而張,不動而変,無為而成
なども同じことを述べている。
禅家の心身脱落と荘子の坐忘なども同じものを示す。
親しみの感じ・feeling of familiarityも覚の一部
勘の諸相はほとんどが覚自証に入るとする。
識は直観的で、覚は含蓄的に与えられるもの。
覚とは、小脳や大脳基底核に形成される
運動性記憶のことと見てよいと思われる。
含蓄的に与えられるとは、修行によって生まれるということであり、
運動性記憶の特性に対応している。
『続 勘の研究』
黒田亮(文献学、東洋心理学)
講談社学術文庫(1981)
新概念の提示と心理学実験が面白い。
続では、那一点と直指という概念がさらに提示される。
那一点とは対象の支点
日用品に生まれる愛着とは那一点の成立によるもの。
骨董品は那一点を生みやすいものである。
機能的中心としての対象の那一点、抽象的対象にも成立する。
那一点とは、
アフォーダンスを別の角度から述べたものと理解して問題ないと思う。
直指とは、那一点を把握する作用のことである。
文章の理解にも那一点を捉える。
文学表現の比喩を理解するにはその那一点の把握が必要。
それには、
アフォーダンス=ある対象から引き出される身体運動感覚
を感じる必要があるのだ。
学習の完成とは対象を那一点で把握されること。
例えば、ある言葉を知っても、その身体運動感覚を把握するまでは
真に理解したとはいえないのである。
客観的同一性と主観的同一性は対象の那一点にのみ認められる。
椅子のアフォーダンスとは、座ることである。
椅子を知覚して、
座るという身体運動感覚を感じると椅子を理解したといえる。
人が座れる大きな石があるとする。これは普通、椅子とは呼ばない。
ただし、これを座るものとして利用する人間にとっては椅子である。
そして、すべての人間が
これを疑問無く座るものと認識するようになると、この石は椅子となる。
このとき、この石の客観的同一性と主観的同一性は、
"座る"という那一点により共通することになるわけである。
・今日の一言
学習は那一点=アフォーダンスを獲得することで完成する。
When getting "Na-itten" (affordance), the learning will be completed.
학습은 "나한점 (어포던스)"를 획득하면 완성된다.
获得"那一点"(功能可见性、预设用途、环境赋使),完成学习。
黒田亮(文献学、東洋心理学)
講談社学術文庫(1980)
アフォーダンスに結びつく戦前日本の研究、文学分析が面白い。
識と覚という概念を提唱している。
覚とは勘の働きであり、それを芸能や剣法の極意、
禅の悟り、老荘哲学に見い出す。
修行の結果、身体全身に行き渡った心が本心。
身につくということである。
沢庵作の太阿記に不動智を体得した剣士の働きというのがある。
そこには拘泥から解脱した姿がある。
剣術は心体自然の応用、往くに形なく来るに跡がない、
馬は人を忘れ人は馬を忘れる。
『荘子』視之無形,聽之無声,謂之冥冥、
これを見るに形なく、これを聞くに声なく、これを冥冥という。
術を究めると意識的感覚を越えた次元に到達するのである。
儒教の『中庸』不見而張,不動而変,無為而成
なども同じことを述べている。
禅家の心身脱落と荘子の坐忘なども同じものを示す。
親しみの感じ・feeling of familiarityも覚の一部
勘の諸相はほとんどが覚自証に入るとする。
識は直観的で、覚は含蓄的に与えられるもの。
覚とは、小脳や大脳基底核に形成される
運動性記憶のことと見てよいと思われる。
含蓄的に与えられるとは、修行によって生まれるということであり、
運動性記憶の特性に対応している。
『続 勘の研究』
黒田亮(文献学、東洋心理学)
講談社学術文庫(1981)
新概念の提示と心理学実験が面白い。
続では、那一点と直指という概念がさらに提示される。
那一点とは対象の支点
日用品に生まれる愛着とは那一点の成立によるもの。
骨董品は那一点を生みやすいものである。
機能的中心としての対象の那一点、抽象的対象にも成立する。
那一点とは、
アフォーダンスを別の角度から述べたものと理解して問題ないと思う。
直指とは、那一点を把握する作用のことである。
文章の理解にも那一点を捉える。
文学表現の比喩を理解するにはその那一点の把握が必要。
それには、
アフォーダンス=ある対象から引き出される身体運動感覚
を感じる必要があるのだ。
学習の完成とは対象を那一点で把握されること。
例えば、ある言葉を知っても、その身体運動感覚を把握するまでは
真に理解したとはいえないのである。
客観的同一性と主観的同一性は対象の那一点にのみ認められる。
椅子のアフォーダンスとは、座ることである。
椅子を知覚して、
座るという身体運動感覚を感じると椅子を理解したといえる。
人が座れる大きな石があるとする。これは普通、椅子とは呼ばない。
ただし、これを座るものとして利用する人間にとっては椅子である。
そして、すべての人間が
これを疑問無く座るものと認識するようになると、この石は椅子となる。
このとき、この石の客観的同一性と主観的同一性は、
"座る"という那一点により共通することになるわけである。
・今日の一言
学習は那一点=アフォーダンスを獲得することで完成する。
When getting "Na-itten" (affordance), the learning will be completed.
학습은 "나한점 (어포던스)"를 획득하면 완성된다.
获得"那一点"(功能可见性、预设用途、环境赋使),完成学习。
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