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〈心〉はからだの外にある(NHKブックス) [本(脳科学]

『〈心〉はからだの外にある』
河野哲也(哲学者)
NHKブックス(2006)


アフォーダンスで語る認識論と倫理学。名著。

心理主義の罠
社会現象を個人から理解しようとする傾向は、
社会政治問題を個人にすり替える
プロパガンダになる。
少年犯罪やニート問題などが典型だ。
あるいは政治家、官僚、
会社などの汚職などもそうである。
これらは個人の資質に求めても何の効果もない。
すべては社会制度の問題であり、
正しく制度を設定すれはなくなるものである。
マスコミは愚かな心理主義の巣窟である。

自分探しとは自分を探すことではなく、
既存環境の中に自分の居場所を見つけ作ること。
アイデンティティとは、自己責任領域である。
社会の中で自分の仕事を見つけて作ることである。
仕事とは、他者に"快適"を提供するものである。
自分探しとは、自分は他人にどんな"快適"を提供できるか考えることだ。

心は環境のなかに拡散して存在している。
私は自著で、心が脳を中心軸としてなだらかに拡散してることを述べた。
そろそろ私と同じことをいう人が出てきそうだ。

ビッグファイブが、
なぜ性格の中心特性と主張しうるのか定かではないという。
間違い。統計的に根拠があるし、脳の神経伝達物質とも相関している。
明確に根拠がある。著者は勉強不足だ。

学校では民主主義社会の主権者を育てる教育が不足しているという。

・知的な共同作業
・チームワークの方法論
・主権者として国家統治の方法
・民主主義の構築と維持の実践方法
・政治参加の方法
・行政と司法の監視の方法
・メディアリテラシー
など。

いまだ日本の教育は労働者を育てる体制のままなのである。

個性の尊重という言葉は、
人より卓越している必要があるように思わせているという。
何かが人より優れていないかと探し続ける人たちを生み出すのだ。

自閉症を自己と捉えるグランディンと、
疾患として捉えるウィリアムズ。
同じ自閉症者でも認識の違いが面白い。
ドナ・ウィリアムズは克服する対象とみたのであり、
テンプル・グランディンは伸ばすべき特技としたのだ。

ユニヴァーサル・デザインとノーマライゼーションは同じ発想。
すべての人に共通のアフォーダンスを提供する思想と呼びたい。

直接知覚論:知覚された世界が実在。価値や意味も実在する。
素粒子の世界も動物行動の世界も等しい資格の実在。
どちらかが構成物であったりしない。
主観的事象や客観的事象や物理学的事象とは
空間的時間的なスケールの違いに過ぎないという。

まさしく正しい認識論である。
ある対象を裸眼で見たときと顕微鏡で見たとき、
その知覚は異なっている。
それはその知覚によるアフォーダンス=誘因行為が異なるからである。
我々が認識するのはアフォーダンス=誘因行為なのである。

タグ:河野哲也
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