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不安型ナショナリズムの時代(洋泉社新書) [本(日本の問題]

『不安型ナショナリズムの時代/高原基彰/洋泉社新書/2006』
著者:日韓中の開発体制の変容に伴う社会変動
評価:日韓中のネトウヨ比べ・なかなか良書

韓国2001年大卒の就職率は30%。
これはひどいな。

日韓中ともに激しい社会変動があり、
その中で特に若者が割を食っている。
そうした真の問題が隣国への反感のために覆い隠されているという。

日韓中のどの国でも、
うまく社会変動に順応した人たちには反日も嫌韓嫌中もないという。

日本の若年層の嫌韓嫌中はアジア蔑視の伝統ではなく、
彼らの抱える先行き不透明感から来ている。
保守雑誌メディアの言説が
粗雑化されてネット空間に流入しているという。

社会学的因果関係と心理学的因果関係のズレの問題。
ネット右翼は決して自分が下流だとは認めない。
この認識のズレは本当に問題ではないのか?

今までは自分たちの漠然とした認識を確認する相手がいなかった。
テレビも雑誌も新聞もそれらを否定するからだ。
ところがネットでは同じ意見を提示する人があまりにも多数である。
知識ある人から見れば馬鹿げた漠然とした認識を、
確信に変えてしまうのだ。
人間は、論理的に正しくないことでも、
みんながいうことなら信じてしまう。

賢者は質から確信を得るが、愚者は数から確信を得る。

特に日本のように同調圧力が強い上に
論理思考が鍛えられていない人ばかりの国ではその傾向が強い。

『ウェブ進化論』では日本の中間層の厚さがブログの質を高め、
有効性を見せるとしたが、どうもこれは間違いと思われる。

テレビや新聞に対するメディア・リテラシーと、
インターネットに対するメディア・リテラシーは、全く別物。
限定情報から真実を見抜く能力がテレビへのメディア・リテラシー、
あふれる情報から真実を見抜く能力がネットへのメディア・リテラシー。
ネットに対するメディア・リテラシーには論理思考力が不可欠だ。

『感動禁止!/八柏龍紀/ベスト新書/2006』
著者:歴史、社会哲学、現代史
評価:事実を羅列し社会学の言葉に翻訳

学校の自由化は子どもの差別化につながる。
2ちゃんねるの暴走は不満の消費行動。

何となく面白げではあるが、何ら解決方法を示唆しておらず、
内容があるように思えない。


『日本の「ミドルパワー」外交/添谷芳秀/ちくま新書/2005』
著者:国際政治学者
評価:レッテルを貼っただけでは?

日本の戦後外交をミドルパワーとして読み直すというのだが、
言い換えただけに感じられる。
もちろん、戦後日本の外交史として読む分には問題ない。

1983年1月、中曽根首相は、
訪韓晩餐会スピーチの1/3を韓国語で行ったそうだ。
この首相の評価も難しいね。

現在、諸外国の中国イメージは総じて良好だそうだ。
そうなの?
イメージを客観評価する方法って難しいよな。

日本政府は対中市民社会戦略を考えるべき。
中国社会は少しずつだが多元化しているという。

日本政府は、
中国の世論に訴える方法をいろいろと考えていくべきと思う。
共産党だけ見ても意味はないのだ。

『ルポ改憲潮流/斎藤貴男/岩波新書/2006』
著者:ジャーナリスト
評価:相変わらず結論先にありきの齊藤節・でも面白い

樋口陽一の言葉:憲法の基本は国家がしてはならないことを定める。
憲法は権力への縛りなのだ。
法律についての法律が憲法というわけ。

国家の本質は権力だという。
もっと率直に言えば軍隊である。
国家とはある領域の人々にルールを強制するものであるから、
強制のための武力が必要になる。
それは軍隊となる。
軍隊のない政府とは、地方自治体である。
日本の自衛隊が軍隊でないのなら、日本政府は地方自治体である。

あれっ? 日本政府って確かに
アメリカの地方自治体のように思えなくもない。
自衛隊ってやっぱり軍隊じゃないのかも?

"歴史教育を考える会"や"つくる会"は、
小中学校教科書に従軍慰安婦が盛り込まれたのに対抗して
生まれたらしい。
確かに、これって歴史教科書に入れる内容ではないと思う。
日本史や世界史の中で重要な事件とは言えないからだ。

では、無視するべきなのか?
もちろんそうではない。
従軍慰安婦の問題は、倫理や道徳の教科書に入れるべきことだ。
男女の倫理、戦争の倫理の問題だからだ。

NHK問題は、魚住レポートが週刊現代で発売され、
朝日のスクープは十分な裏付けがあることを示したのに、
朝日が間違っていたことになってしまったらしい。

結局、最後には、
政治家の憲法改正発言は必ずしも本気ではないという話が出てくる。
実際、これが説得力がありこの本のテーマが最後に崩壊している。

『愛国者は信用できるか/鈴木邦男/講談社現代新書/2006』
著者:右翼・民族運動"一水会"
評価:普通かつ地味・印象が弱い本

明治時代まで国は日本ではなく藩だったという。

国とは軍隊である。
藩もまた軍隊を持っていた。すなわち、江戸幕府は連邦国家だった。
日本は明治までずっと連邦国家であって、統一国家ではなかった。

『好奇心と日本人/鶴見和子/講談社現代新書/1974』
著者:社会学
評価:的はずれなピンぼけ本

ミルクを牛乳と呼んで笑われたそうだ。
旅行がツアー、石鹸がソープ、髪がヘアー、ご飯がライスでないと、
馬鹿にされるという。

すいません、先生はどういう世界に住んでいるんですか?
そこは本当に日本ですか?

日本語の外来語の取り込み主義は好奇心を示すという。
違います。単に言語構造の問題です。
舞台の夕鶴ののぞき見のシーンで日本人は沸き立つのに、
中国人は反応しないのは日本人の好奇心の強さを示すという。
また、民話の異類結婚譚は、日本はのぞき見に、
中国は見破りに重点あるがこれも好奇心と関係するという。

いいえ。好奇心ではなく日本の上下関係の締め付けを示しています。
日本人は怒られないかと心配なのです。
中国人は日本人より平等主義で、騙されるのが嫌なので
見破って相手より上に立とうとするのです。

・今日の一言
愚者は数から確信を得るが、賢者は質から確信を得る。
Fools get the belief from the quantity, wise men get the belief from the quality.
바보는 량을 보고 확신을 얻지만, 똑똑한 사람은 질을 보고 확신을 얻는다.
愚者信数量,贤者信质量。

タグ:高原基彰
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