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現代ドイツ-統一後の知的軌跡(岩波新書) [本(哲学思想]

『現代ドイツ-統一後の知的軌跡/三島憲一/岩波新書/2006』
著者:ドイツ思想史
評価:統一後の思想的論争・ドイツだけでなく世界を考える良書

ネオ・ナチの論理。
ナチスの戦争は、共産主義への文明の戦いと位置づける。
ユダヤ人世界会議が39年9月にナチス・ドイツに宣戦布告した。
ヒトラーはユダヤ人を戦時捕虜として扱う権利が発生したという。

ヴァルザーは、罪の私人化を要求した。
ナチスの過去の犯罪は公共の罪ではないのだから、
公の場で大きくして議論するテーマではない。
ナチスの悪はわかっているが、
それを公共の場でしつこく聞かされるのは嫌だと。

罪を犯すのは道徳的にも法律的にも宗教的にもあくまでも個人。
私的な罪と公的な責任が区別できていないのだが、
それがいかに困難なことかを考え、
どうすれば受け入れやすいものにできるかを考える必要がある。

国や民族にアイデンティティを置き、
それを自らの優劣のように感じてしまう心のあり方。
戦前の国家犯罪を指摘されることが、
自分が非難され貶められたように錯覚する人。
他国の国家犯罪を指摘することが、
他人の過ちを指摘し自分が誇ることであると錯覚する人。
こうした非論理性を打破する方法を考えねばならない。

ドイツの"普通の国"論は90年代半ばに消滅した。
ドイツの元の地であるプロイセンは今やドイツ領ではないし、
ドイツ語を話す人はドイツ国外にも多い。
ドイツ人は、普通の国であることより
欧州の一地域であることを選んだわけだ。

ドイツ大企業はもう既にドイツ人の企業とはいえない。
ドイツ銀行の仕事の中心はロンドンで、
従業員の59%、株主の51%は外国在住。
ジーメンスは、従業員の63%は外国人。
企業もまたドイツという枠を外しつつある。

国家による市民の殺戮という観点。
すると、アウシュビッツ、ドレスデン、広島、南京は、
同じ国家犯罪としてとらえることができる。

ラートブルフの原則。
実定法も正義との距離があまりに大きい場合は正義が優先される。
旧東ドイツで法律に従い
壁を乗り越えようとした人を射殺した人たちがいたが、
彼らを裁いたのである。
合法でも不正義なら罪であるとしたのである。

射殺せずに見逃すことができたのに
そうしなかったということを罪に問うのだろう。

ローマ協約にもとづく国際刑事裁判所。
批准していない国にも守る義務を課している。
人権の普遍性ゆえに強行法という考え方だ。
75年ヘルシンキ議定書でも、
人権はもはや国家の内政事項ではないとした。

人権を無視する国家=領域武力組織をもはや世界は容認しないのだ。

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