SSブログ

農耕社会の成立〈シリーズ日本古代史1〉(岩波新書) [本(日本史]

『農耕社会の成立〈シリーズ日本古代史1〉』
石川日出志(考古学)
岩波新書(2010)


弥生時代の遺跡。
佐賀の吉野ヶ里、静岡の登呂、
神奈川の大塚・歳勝土、
福岡の板付、奈良の唐古

縄文遺跡、群馬、
岩宿の石器、相沢忠洋
横須賀の夏島貝塚の土器

縄文時代の代表的な集落は環状集落
灌漑水田の導入をもって弥生時代の開始とみる

稲作伝来ルート。
有力なのは山東半島⇒朝鮮半島南部⇒日本列島、
山東半島⇒遼東半島⇒朝鮮半島⇒日本列島

現在の河内平野は縄文時代前期には河内潟
弥生時代の当初から田植えが行われた可能性も
弥生時代遺跡で一番多い出土植物はイネでなくドングリ

当時の大陸にありながら弥生時代の日本に伝わらなかったもの。
牧畜、ロクロ、戦車、乗馬、城壁、文字

縄文晩期後半は黒川式土器

考古学者で金印を偽物と疑う人はいない
金印は後漢初期の一寸に作られている
鈕が蛇形なのは1957年の出土が初めてだから江戸時代の人は知らない

北部九州では伊都国と奴国が有力国
倉敷の楯築遺跡は弥生後期後半の墳丘墓
箸墓古墳、古墳時代の始まり

天理市東大寺山古墳の鉄刀
中平__五月丙午造作文刀百練_上応星宿____
銅鏡が奈良盆地東南部に集中

☆☆☆☆☆
難易度2/5 推薦度3/5

考古学者で金印を偽物と疑う人はいない。
右翼的真情で反対している人が多いのかも。

・今日の一言(本文より)
「漢委奴國王」金印はまさしく西暦57年に倭の奴国が「奉貢朝賀」したことに対して光武帝が下賜した「印綬」に他ならず、倭人最初の正式外交を示すきわめて重要な物証である。
"汉委奴国王"金印的确是公元57年光武帝对委的奴国的"奉贡朝贺"而赐与的"印绶",也是显示倭人首次正式外交的极其重要的物证。
"한위노국왕" 금인은 바로 서력 57년에 외(倭)의 노국이 "공물을 바치고 조정을 방문"한 것에 대해 광무제가 준 "인수"로 틀림없고, 외인 최초의 정식외교를 가리키는 아주 중요한 물증이다.
The King of Na's gold seal is nothing less than the official seal Emperor Guangwu gave in return for the tribute received upon the visit to the imperial court in 57 AD, and is important concrete evidence of the first official act of diplomacy by the Japanese.

タグ:石川日出志
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。