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親鸞をよむ(岩波新書) [本(仏教]

『親鸞をよむ』
山折哲雄(宗教学、宗教思想史)
岩波新書(2007)


親鸞の鏡の御影、
道元の月見の御影
鎌倉時代の宗教改革は
すべて先祖崇拝の信仰の流れに呑み込まれていく
弥陀の五劫思惟の願いをよくよく案ずれば、
ひとへに親鸞一人がためなりけり。

ブッダは千キロ歩き、親鸞は二千キロ歩いた。

西行法師。山桜を見て、自分の魂がからだから抜け出て、
ふたたび戻ってこないかもしれないと、
恍惚と不安の気持ちを歌に託して歌う

親鸞の足跡を追って旅する随想
親鸞は陶淵明を愛読

☆☆☆☆☆
難易度2/5 推薦度1/5

研究というより単なる親鸞ファンの幻想。
法然は78歳まで生きたと書くが、数えならブッダと同じ80歳のはず。
親鸞1173-1262、法然1133-1212だから、
親鸞が90歳としてるのに、法然78歳はあり得ない。原始的ミス。

"自分の思想が日本を越えて世界水準を行くという自覚を持っていた"
これなんて妄想そのもの。親鸞は宗教者であって哲学者じゃないぞ。

完全に小説というか文学作品、論理推論0。

『『教行信証』を読む:親鸞の世界へ』
山折哲雄(宗教学、宗教思想史)
岩波新書(2010)


条件付きの悪人救済。
善き師につくこと、深く懺悔すること

阿闍世逆害の物語への問題意識
『大般涅槃経』のアジャセ救済の話

板東本『教行信証』の序文の用紙裏に落書きような書き写し。
阿闍世逆害の一節

名宰相北条泰時
善導の三品の懺悔

☆☆☆☆☆
難易度2/5 推薦度1/5

"『教行信証』は法然の『選択集』への異議申し立ての試み"
"法然の立場に対する挑戦を意味した"
これは酷い。真逆だよ。『選択集』の正しさを証明しようとしたもの。
法然浄土教へ向けられた非難を意識して書かれたという視点を忘れている。
反論の書なのに。
著者は親鸞を自分のような学者として妄想してるんだな……
法然の思想を誤解しているためかな。あれだけ法然の本も書いてるのに……

・今日の一言(本文より)
しかればすでに僧にあらず俗にあらず、このゆえに禿の字をもて姓となす。
이제야 승려도 아니고 보통 사람도 아니고 그러므로 독(禿)의 글자를 가지고 성으로 한다.
我已经不是僧侣也不是俗人,从而以秃字为姓。
Thenceforth, I am neither a monk nor a layman, and for my family name, I have adopted the title "toku"(bald-headed).



法然と親鸞の違い
 二人には教義上の違いはほとんどない。同一の思想の持ち主である。しかし現在、浄土宗と浄土真宗に分かれているのには、二つの理由がある。
 一つは二人の立場の違いから発言が異なって見えること。
 法然は浄土宗という新しい宗派を宣言し、その指導者として行動していた。そしてその新しい考えを広めるため、入門者に向けての発言を多く残している。そのため念仏為先といい、まず念仏しなさい、たくさん念仏しなさいという。相手が念仏をしない人、念仏そのものに疑問を持つ人が対象だからである。
 ところが親鸞は全く違う。自ら親鸞は弟子を一人を持たずと宣言し、万人がすべて仏弟子であり平等とし、決して人に教えるというスタンスを取らなかった。そしてその発言相手は同じ念仏者の僧侶か、念仏に対立する僧侶に向けられている。入門者や部外者には向けられていないのである。
 そのため信を強調する。相手は既に念仏そのものは当然としているのだから、念仏を勧める必要はないからだ。僧侶相手であるから法然のような「念仏しなさい」ではなく、「その念仏は本物ですか?」という意味で信心為本となるのである。
 もう一つはどちらの生き方を理想とするかという問題である。
 法然は天台宗の僧侶であり、浄土宗を開いてもなお天台宗の僧侶として活動していた。聖僧として、妻帯することもなく、肉食することもなく、戒律をしっかり守っていたのである。また指導者として集団を守るため、対立を回避する必要があり、他の宗派と融和的な発言が多くなっている。
 対して親鸞は、僧籍を剥奪されてからは戻ることなく、さらに公然と妻帯して俗人に近い生き方をした。
 現在の浄土宗と浄土真宗の教義は、この二つの生き方のどちらに憧れるかに大きく影響されている。
 浄土宗では、禅との双修する人が多くいたり、学問的に研究する人が多い。法然は若い頃、南都の仏教も学び、当時の仏教宗派のほとんどに通じていたから、これは智慧第一と称された法然への憧れと言える。念仏を非常に多く称える人が多いのも、法然の実践に見習ったものである。
 浄土真宗では、聴聞を重視し、法話を聞くことを重視するが、これは親鸞がかつて法然の元に百日通ったことに対応しているし、また親鸞の著書の多さに関連している。
 立場の違いから発言が違うだけなのに、後の人がそれを考慮せずに宗派が分かれてしまい、それが二人の生き方にかみ合って見えたため、異なる宗派として定着してしまったのである。

タグ:山折哲雄
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