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自己牢獄を超えて:仏教心理学入門 [本(仏教]

『自己牢獄を超えて:仏教心理学入門』
キャロライン・ブレイジャー(アミダ・トラスト)
コスモスライブラリー(2006)


原題:Buddhist Psychology: leberate your mind, embrace life 2003

仏教心理学は自己への依存症の心理学

真に必要なときは怒ってもよい
アーラヤはもともと所有蓄積の意味
smriti。念。マインドフルネス。
心にポジティブな対象を持つこと。心を仏で満たすこと

岩は痛みを感じない。島は決して泣かない。
A rock feels no pain, and an island never cries.

簡単に言えば、仏教心理学は何を知覚するかがそれにどのように反応するかを条件づけるというモデルを提示しているということです。
Simply, we can say that Buddhist psychology presents models suggesting that what you perceice conditions how you react

五つのスカンダについての教義は、自己牢獄が作られ、それが維持されていく循環的プロセスについてのモデルを提示しています。
The teaching of the skandhas provides a model of the circular process whereby the self-prison is created and maintained

仏教は超自我ではなく超イドをめざすようにと説いている。
Buddhism may lead us to seek a super-id rather than a super-ego.

仏教ですべての物が空であるというときは、すべての物はあるがままの姿で在るということを意味しているのです。それらの物はわたしたちについて何かを示すしるしとしてそこにあるのではないのです。それらは非自己なのです。すべての物はダルマであり、ルーパではないのです。
When teaching say that all things are empty, they mean that things are what they are. They are not there to indicate something about us. They are non-self. Things are dharma, not rupas.

他者中心のものの見方に移行することは、自己の維持するために作動している検閲を迂回する手段となります。
Moving to the other-centered view provides a means to bypass the censorship that operates to maintain the self

友よ、空間が木材、つる、草、粘土によって取り囲まれているなら、それが「家」と呼ばれるように、空間が骨、筋、肉、皮膚によって囲まれているなら、それはルーパと呼ばれるに至る。マッジーマ・ニカーヤ、願経
Friends, just as when a space is enclosed by timber and creepers, grass and clay, it becomes termed a "house," so too, when a space is enclosed by bones and sinews, flesh and skin, it comes to be termed "rupa."

☆☆☆☆☆
第一部が理論、第二部が実践の教科書
聞くことの大事さ。大地や手足に聞く、耳を傾けること。

・今日の一節(本文より)
Quan Yin said to have toiled for many aeons, trying to relive suffering in the world, but at the end of that time was dismayed to discover that there were just as many suffering being as when she started. At this point she was so distraught that she shattered into a thousand pieces. The Buddha Amida came to her rescue, putting her back together but giving her wisdom to accompany her compassion. Some images of this new, wiser Quan Yin are depicted with many heads. Quan Yin is no longer limited to one form, but takes whatever form is needed in a given situation.

観音は世界の苦しみを除こうと何刧にもわたって一生懸命働きました。しかし、その時間の終わりになっても救済を始めたときと同じぐらいたくさんの苦しんでいる衆生がまだ残っていることを知って愕然としたと伝えられています。そのとき、観音はあまりに当惑したためにその身がこなごなに砕け散ってしまいました。阿弥陀仏が観音を助けに来て、その身体を元に戻してやり、さらに慈悲と一緒にはたらく智慧を授けました。この新しくよみがえった、前よりもさらに賢明になった観音のイメージとしてたくさんの頭を持った像が描かれることがあります。観音はもはや一つの形態だけに限られていません。与えられた情況にふさわしいどのような形態でも自在に取ることができるのです。

관음은 세계의 괴로움을 없애려고 몇 겁 동안 열심히 일했습니다. 그러나 그 시간의 마지막이 되어도 구제를 시작했던 때와 마찬가지로 많은 괴로움에 시달리는 사람들이 여전히 남아 있는 것을 알고 망연자실했다고 전해지고 있습니다. 그때 관음은 너무나 혼란스러워서 그 몸이 산산조각으로 부서져 흩어졌습니다. 아미타불이 관음을 구하러 왔고 그 몸을 원래대로 돌리고 그리고 자비와 같이 작용되는 지혜를 줬습니다. 그 새롭게 되살아난, 전보다 더 현명해진 관음은 여러 얼굴을 가지고 있는 상으로 그려지는 것도 있습니다. 관음은 이제 한 형태로만 제한되지 않습니다. 주어진 상황에 알맞게 어떤 형태로도 자유자재로 변할 수 있는 것입니다.

观音为了排除世界的艰难,拼命地工作了几百亿年,但是她知道剩下的受难的人数和开始救济的时候一样,愕然失色。那时候,观音因为太困惑了,而使她的身体粉身碎骨。于是阿弥陀佛来帮助她,恢复她的身体,为了让观音发挥慈悲,赋予智慧。这个新生的、比以前更贤明的观音被人们描绘后产生了很多面孔。观音已经不限制于一个形态,她可根据环境自由自在地变换。

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