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親鸞とその妻の手紙 [本(仏教]

『親鸞とその妻の手紙』
石田瑞麿(仏教学、日本仏教)
春秋社(2000 )


と法然上人は仰せられました
と聞いています。
と聞き習っています。
という表現が多く、法然上人への敬意が感じられる。

帰命尽十方無碍光如来でも同じ意味だからかまわない
南無不可思議光如来

弥勒はまだ仏ではないがかならず仏になるから弥勒仏という。
同じように真実の信心を得た人を如来に等しい

弥勒に等しいはうれしくない。弥勒は自力だから

他力のなかにも自力はあるが、他力のなかにまた他力があるということはない

信心のある人は臨終やお迎えを待つ必要はない

☆☆☆☆☆
親鸞独特のレトリックが誤解の元だと思うんだ。

・今日の一言(本文より)
恵信尼は親鸞と結婚する前には越後の名家豪族のもとで侍女をしていた。
에신니(惠信尼)는 신란(親鸞)과 결혼하기 전 에치고(越後)에 있는 명문호족 밑에서 시녀를 하고 있었다.
惠信尼和亲鸾结婚之前在越后的名门豪族之家当侍女。
Eshinni was a lady in waiting for a famous and powerful family in Echigo before she married Shinran.


『教行信証入門』
石田瑞麿(仏教学、日本仏教)
講談社学術文庫(1989)


☆☆☆☆☆
親鸞の研究者には、親鸞と法然は違っていなければならないという先入観が強すぎると思う。従来の叡山浄土教と法然の差より、法然と親鸞の差の方が大きいというが、今なら到底有り得ない考えだ。法然の多様の発言から著者が都合のよい部分を取り上げて差を作ろうとしているのである。

タグ:石田瑞麿
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