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光武帝劉秀とはどんな人物か・箇条書きまとめ [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

まず、一文の後漢建国史
・西暦1世紀の中国、王莽の政治が失敗し、反乱軍の更始帝が取って代わったが、失政がさらに続き群雄割拠の時代となり、将軍であった劉秀が独立して戦い、天下を統一した。

●光武帝の性格と能力
・家族や郷里の人に平凡で小心な真面目なだけの人と思われていた
・夢は美人の許嫁陰麗華との田園生活であり、出世に興味がなかった
・長安に留学したことがあり、儒家、道家、法家、兵家すべてに博学である
・民間時代、農民、商人、学生、侠客として生きた
・昆陽の戦いで百万大軍を三千で大破して一気に有名人に
・即位後の小長安の戦いや桃城の戦いでは、十万大軍を率いながら皇帝自ら剣を取って敵軍へと斬り込んだ
・その武勇はもはや人間では太刀打ちできぬ(其勇非人之敵)と言われた
・その勇姿はまことに天の人である(真天人也)と言われ、なかなか二枚目
・生涯百を超える戦いを経験し、敗戦は一度きり
・軍の規律は厳正で、補給物資は必ず市を通じて購入した
・二十八の星座の生まれ変わりとされる二十八人の部下がいた
・戦場を共にした将軍を誰も粛清しなかった
・統一後は戦いを嫌い、剣を捨てて平和主義に徹した
・皇帝であったが学者の討論や研究にそのまま参加した
・将軍、大臣、隠者たちと会話するとき、同じ席に混じって座った
・詔などは代筆でなくすべて自分で書いた
・山野に住む隠者に友人が多くいてしばしば相談した
・たびたび宮殿をこそっと抜け出して遊びに出かけた
・真夜中に帰ってきて、閉め出しをくらったことがある
・幼なじみの許嫁陰麗華がそのまま皇后となり、おしどり夫婦の典型
・お酒はあまり飲まなかったが宴会が好きだった
・みなが聖君と褒め称えるので怒って"聖"をNGワードに指定した
・会話では、いつもひとひねり効いた冗談を言う。はずれも多い
・間違いを家臣に指摘されると、あっさり撤回して面子にこだわらない

●光武帝の政治
・検地を行い税制の不公平を直した
・領地の奴婢を無条件で解放した
・人間の平等を宣言し、奴婢と良民の刑法を平等にした
・各種の将軍を廃止し、軍備を大幅に縮小した
・県を合併し、官吏を四分の一にリストラ
・都尉、材官、騎士を廃止し、徴兵制を止めて兵農分離した
・国家財政と帝室財政を統一した
・法に厳しく不法官吏に死者が多数出た
・民間に調査官を派遣して歌を採集した
・儒教を正式に国教とし、太学を立て、学問を振興した
・地方官を厳しく選別し、牛耕と鉄器生産を振興した
・塩や鉄の専売を廃止して民間に任せた
・税率は三十分の一税に戻した
・後漢王朝は前漢の2倍以上のGNPを誇る経済大国だった
・大臣に実権を与えず皇帝に権限を集中した
・即位のときの祭祀は道教の原型となった
・匈奴の戦いでは、経済封鎖して戦わずに倒した
・自国の国力でなく、倒す敵に合わせて軍備したので、国が大きくなるにつれて兵力が減少した
・秦始皇帝、漢武帝に続いて泰山封禅の儀式を行い天に報告したが、不老不死は望まず、民衆の平和を祈って去った

●名言集
 仕官当作執金吾,娶妻当得陰麗華。
(官につくなら執金吾、妻を娶らば陰麗華)
 天地之性人為貴。其殺奴婢,不得減罪 。
(この世界においては、人であることが尊いのである。殺したのが奴隷であっても罪減らすことはできぬ)
 吾理天下,亦欲以柔道行之。
(私は天下を治めるのも、柔の方針で行こうと思う)
 我自楽此,不為疲也。
(私はこれを楽しんでやっている、疲れにはならないのである)
 顧重天下,以元元為首。
(天下を重んじて庶民を最優先とする政治をせよ)
 人苦不知足,既平隴,復望蜀。
(人は満足することを知らずに苦しむもの。いま隴西を得たのに、また蜀も欲しいと考えてしまう。)
 有志者事竟成也!
(志があれば成功するものだ)
 楽人者其楽長,楽身者不久而亡。
(他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ)
 矍鑠哉是翁也!
(矍鑠なるかな、この翁は)
 疾風知勁草。
(疾風こそ強き草を知る)
 朕無益百姓,皆如孝文皇帝制度,務從約省。刺史、二千石長吏皆無離城郭,無遣吏及因郵奏。
(私は民衆の何の役にも立てなかった。葬儀はすべて文帝のように簡略にするように。刺史、二千石の長吏はみな城から離れてはならない。官吏を遣わしたり上書してはならない)
 ※死に際して自らの治世を国民に陳謝し、また国民に対して喪に服すことはおろか弔辞一本送ることすら許さなかった。

・光武帝劉秀についての言葉
 蕭王推赤心置人腹中,安得不投死乎!
(蕭王は真心を持って人を信じて疑わぬ、命をかけてお助けしようではないか!)

 最初、後漢書を読み始めた頃、劉秀は武より文の人と思っていた。けれども今その行動を確認していくと、大胆不敵で命知らずな話が多く、本質は勇気の人なんだなとしみじみ思う。
 この人が幸運だったのは人間関係だ。その死まで、妻も親友も子どもたちも失うことがなかった。それが精神的に安定している最大の要因だろう。
 光武帝劉秀の言行録をまとめるだけでも、面白いものができる。知名度がないのがもったいない。

詳しく知りたい人はこちらへGo!
光武帝と建武二十八宿伝

・今日の一言
光武帝劉秀を有名にしよう。
Let's bring Emperor Guang-Wu (Liu Xiu) international recognition.
광무제"유슈"를 유명하게 만들자.
让光武帝刘秀闻名世界。

タグ:光武帝 劉秀
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格好いい言葉 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

後漢書を読んでいて格好いい言葉を見つけた。ちょっとしびれた。

楽人者其楽長,楽身者不久而亡。
(他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、
自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ)

光武帝の将軍が匈奴と戦うことを進言したとき、返答の文章にある言葉。
生涯を家族や戦友たちと楽しんで生きた光武帝らしい、人生訓である。
孟子の影響かな?
一般人でなく、皇帝の言葉なのが凄いと思う。

・今日の一言
他人との楽しみは限りなく、自分一人の楽しみはすぐに終わる。
Pleasure with others is endless, but pleasure with oneself passes away any second.(△)
타인과의 즐거움은 무한하고, 자기 한 명의 즐거움은 쉬이 끝난다.(△)
与人欢乐其乐无限,个人欢乐其乐有限。(◎)


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光武帝人気者化計画 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

これにはやはり光武帝劉秀の物語を小説化することだと思う。

日本で人気のある中国史の話というと、
1に三国志、2に楚漢の戦い、だろう。
三国志や楚漢の戦いの面白さとは何か?

相容れない政治思想の対決である。
思想的に対立した二人のライバルの長期の対決が面白いわけである。
曹操と劉備/孔明、項羽と劉邦である。
冷徹と温情の対決、剛毅と柔軟の対決と言えようか?

物語の面白さとは、矛盾/対立とその解決、
原点への発展的回帰である。
原点の安定状態があり、
そこに出来事があり矛盾と対立が生まれ、
その葛藤の中で発展し、
そして新しく改新された原点へと帰るのである。
瀬田貞二のいう"行っては帰る物語"こそ物語の基本なのだ。
『幼い子の文学/瀬田貞二/中公新書/1980』

しかし劉秀の話は、三国志や楚漢の戦いのようにはならない。
劉秀には、生涯を通じて戦ったライバルがいないからである。
そういうライバルが育たないうちに各個撃破してしまった。
ライバル足りうる隗囂は明らかに立ち後れすぎた。
そのため、劉秀の話を群雄争覇の物語として見ると、
対立の基本ラインが見えないことに問題がある。

するとどういう話にすればよいのか?
一つ考えたのは水滸伝タイプにすることである。
もともと二十八宿伝説というのは、おそらく水滸伝の原案的存在である。
だから構成しやすいとは言えると思う。

しかし難点は、水滸伝があまり日本人受けしないこと。
水滸伝的構成ではちょっとヒットしにくいと思う。

そこで私が考えているのはラブ・ストーリーを軸にするということ。
メインは当然、劉秀と陰麗華だが、
耿弇と鄧奉もピックアップしようと思う。

この三人の女性関係を軸にして、次のような標語を考えた。

男は女のため、世界のすべてを背負い、
男は女のため、命をかけて得たものすべてを捨て去り、
男は女のため、世界のすべてを敵にして戦った。

うーむ、ちと寒いかな?

こうしたラブ・ストーリーを中心軸に、
水滸伝的なストーリーを金庸的な武侠ものふうに描いて、
サイドストーリーとして絡める
というのががいいんじゃないかと考えている。

私に表現力があれば、すぐにでも書くんだけどなあ……

※耿弇
光武帝の名将だが若くして引退、晩年を医師として生きた。

※鄧奉
光武帝の同盟軍で、
劉秀と離ればなれになっていた陰麗華を守護していたが
郷里を略奪されたことに怒り反旗を翻す。
劣勢な勢力にもかかわらず光武帝軍を最も苦戦させた強敵。

・今日の一言
物語は"行っては帰る物語"が基本である。
The basis of a story is "tales which go and come back".(△)
이야기는 "가고서 돌아가는 것"이 기본이다.(△)
故事的基本结构是"去了然后回来的故事"。(△)


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谁都比不上刘秀大哥! [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

  在日本有很多人喜欢中国历史,特别喜欢三国时代。有的人看完了『三国志』,就想知道中国其他的时代。其中最注目的是光武帝。
  日本有很多历史书。看历史人物的故事,就能学习他们成功的诀窍。想要学习成功的经验,建议您阅读光武帝的故事。
  光武帝是古代中国的皇帝,名叫刘秀。他的纪录在『后汉书』,写得很详细。看『后汉书』就明白他是很伟大,很有趣的人。但是几乎所有的日本人不知道他是什么样的人,而中国人也不太熟悉。
  光武帝出生在公元前六年。他是大约2000年以前的人。一世纪初,王莽的"新王朝"很混乱,形成了群雄割据的战国时代。光武帝当了将军,经历许多战争,最终成为皇帝,统一天下了。他开的王朝叫"东汉"。
  光武帝虽然是古代人,但是他的想法非同寻常。
  光武帝在统一的过程中解放了奴隶,制定"卖人法"和"略人法"限制了人身买卖。他说"这个世界上,人就是可贵",就去掉在刑法上奴隶和一般人的差别,成了平等。
  他还把官吏裁减了一半,把军队削减到十分之一,保障了人民的生活。
  他的政治特别严格,绝对不允许受贿的官吏,无论怎样著名的大臣也不能逃脱惩罚。后来他的政治被称赞为"把人民放在最首位的政治"。
  一位日本的历史学家说,"光武帝把古代中国发展为中世纪"(※日本东洋史的时代划分跟中国的不一样)。别的历史学家说,"秦始皇帝作了中国,东汉光武帝作了中国人"。因为光武帝很有学问,振兴学术,发展儒教、道教、佛教,他的东汉成了中国的主要思想全部出齐的时代。
  光武帝有很多故事。
  光武帝有28名的家臣。当时以为28名家臣是由中国的28个星座(二十八宿)而成的。因为光武帝和28个家臣总是并肩作战,彼此深信不疑,那一个人终生也没对立了。类似水浒传的故事。
  光武帝有美丽的妻子,她叫阴丽华。两个人是青梅竹马。他们的关系也终生不变,阴丽华在36岁的时候当了皇后,她的大儿子成了下子的皇帝。
  不过最有意思的还是光武帝本人。光武帝很喜欢开玩笑,让周围的人哄堂大笑。
  他说话轻松,他行动也很轻松。光武帝常常微服出去寻欢作乐,所以大臣、将军不说,隐士、路过的行人也对他说话很随便。
  有一天光武帝去了郊外的县,那县的小官吏知道他是皇帝,所以说"今后十年请免税"。光武帝回答:"天下的事情很重要,我一天又一天地担心我的政治好不好。不能考虑这么长时间。" 小官吏说"陛下说得太夸张,只是吝惜金钱而已。" 光武帝听了这句话,哈哈大笑,决定把今年的税免了。
  光武帝是中国的皇帝,大概是当时地球上最高的掌权者吧。而且他是将军,在战场上自己拿挥刀的勇士,他杀了数不胜数的人。这种可怕的人一般不能随便说吧?所以我觉得他是像电影中的周星驰似的人。
  我对光武帝特别感兴趣,到时候我想写一本有关他的小说,将来你如果在书店里看见了那本书,请一定给捧捧场吧!

※"劉秀様にはかなうまい"の再開記念タイトル


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