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医学史への誘い [本(科学史/医学史]

『医学史への誘い』
酒井シヅ(医史学、医学博士)
診療新社(2000)


カラーでわかりやすい小冊子。

瀉血療法は歴史が長い。
全く無効なものがこのような長い時に耐えられるはずがないという。
無効なものが歴史を耐えたことはいくらでもあるので、
これはまずい認識である。

アスクレピオスの蛇の杖は日本医師会のバッジのデザインになった。

新農本草経や黄帝内経の原型は紀元前6世紀にできたという。
ちょっと早すぎるように思う。

十二指腸という言葉はヒポクラテス全集より。
何で十二なんでしょうねえ。

ギリシャの人体解剖
ヘロティロス(BC325~)は脳と脊髄と神経を突き止めた
エラシストラトス(BC320-240)は運動神経と知覚神経の区別を発見

クリミア戦争のフランス軍は、戦死者の8倍が戦病と戦傷で死亡。
負傷者は多く手術後に死亡にした。
細菌感染のためである。
手術しない方が死亡率が低いというのだから皮肉である。

『世界医療史』
Erwin H. Ackerknecht(医史学)
内田老鶴圃(1983)


医療の歴史。

手長猿の化石の病気
30%フィラリア症、10%マラリア、40%はトリパノゾマ症だった。
骨折や関節炎も多い。
野生動物も病気が多いのである。

インド医学や中国医学は西洋中世の医学に類似しているという。
西洋中世の解剖図と中国の解剖図も類似している。
また古代のヒポクラテス派は、
身体の部分ではなく病める個人全体を治療した。
医師は自然の治癒力を助けるとしたのだ。
これも漢方に似ているところだ。

中世のパリは医師が少なかった。
1296年に6名、1395年でも32名だった。人口8500人に一人という。

医学の時代分類として、
ヒポクラテスやベルハーヴェやシデナムの病床医学、
中世の図書館医学、
レンネックやグレーヴスの病院医学、
ベルナールにより実験室医学となる。

『外科学の歴史』
クロード・ダレーヌ(心臓外科医)
文庫クセジュ(1988)


フランス中心の医学史。まとまっている。

ヒポクラテスの言葉:人間は調和のとれた総合体。
中国医学にも通じる考え方だ。

国王が最高の治療を求めたときの、外科医パレの返答が格好いい。
「彼らより優れた治療をしてくれ」
「できません」
「なぜだ?」
「王に対するのと同じようにみなを治療するからです」

『精神医学の歴史』
小俣和一郎(臨床精神医学)
レグルス文庫(2005)


良書。日本の精神医学の歴史にも詳しい。

精神病を表す言葉の起源は預言者を意味する言葉という。
宗教開祖とてんかんの関係はよく述べられるところだ。

最古の現存の精神病院ロンドンのベスレム病院で、
元は聖マリー修道院だった。
京都の岩倉大雲寺は、精神病者の参集する寺となり、
明治に精神病院ができた。
宗教と医療活動の関係の深さがわかる。

鎌倉時代の梶原性全の頓医抄には、
宋代の人体解剖図があるという。
還元的に分析して見るという考え方は、
西洋の専売特許などではないのだ。

実際、2000年前の王莽の時代にも解剖の記録はある。
中国で還元的知識が蓄積されなかったのは社会体制の問題である。

『韓国科学史』
全相運(科学史、化学)
日本評論社(2005)


図版が多くて興味深い。

仏国寺釈迦塔の705年頃の木版印刷の無垢浄光大陀羅尼経。
世界最古という。
それまでは木版印刷の始まりは唐の712-756年とする
グッドリッチ説が常識であった。
ただし、中国の潘吉星は、
702年に洛陽で印刷されて新羅に伝達されたものとする。
著者は怒りを込めて否定するが、
これはこれで有力であり、科学的な生産地研究が待たれるところ。

仏国寺以前は、法隆寺の百万塔陀羅尼が世界最古とされていたが、
日本で印刷されたとは考えられていない。
韓国だけが現地生産と主張するには理由が必要だろう。

科学史家のバーナルは、
金属活字は14世紀韓国で始めて使用され、
それがヨーロッパに伝わったとする。

韓国が木版印刷と金属活字の発祥の地と認定されるか興味深いところ。

あとがきで、山田慶兒が、農業気象学と軍事工学における
標準化と規格化の思想を指摘する。
考えるに、上記の印刷や活字も標準化と規格化だ。
韓国における文化の統一性を感じさせるエピソードである。
混沌より統一を重んじるのだ。
白黒をはっきりとさせ混沌を嫌うのが韓国的なのだろう。

『旅と病の三千年史』
浜田篤郎(旅行医学)
文春新書(2002)


疫学史の本。

中世の梅毒は急性で症状も激烈だったという。
新しく出現した病気は強く、その後に共生して弱くなるのだ。
エイズもその威力が弱くなっていくと考えられている。

結核は弥生時代に渡航者とともに日本にやってきた。
縄文人は結核に抵抗力が全くなかったかもしれないという。

遺伝子の研究では、
日本人と韓国人はアイヌや琉球より近いとなっている。
ところが琉球人は、
紀元2世紀前後に日本人から分離したと推定されている。
韓国人と日本人の分離がそれ以降というのは、かなり信じがたい。
これを、結核により縄文人が大幅減少し、
弥生人の遺伝子が多く残ったと考えると理解できるかもしれない。

日露戦争の死者数
日本軍の戦死58000、病死22000
ロシア軍31000、病死8000
軍陣医学史上はじめて病死が戦死より少ない戦争になったという。
戦争というのはほとんどの人が病気で死ぬものだったのである。

『精神医学の歴史』
イヴ・ペリシエ(社会精神医学、精神薬理学)
文庫クセジュ(1974)


コンパクトな医学史・いまいちわかりにくい。


『アジア医科学史散歩』
石田純郎(医史学、医学概論、小児科医)
考古堂書店(1999)


東南アジア仏教遺跡観光ガイド。何かユーモラス。

カンボジアの章は、ほとんど奥さんの写真集になっています。
ほほえましいです。(笑)

『地球の歩き方』は部屋でこそっと見るエロ本のようなものという。
持って歩くと旅行者とばれてしまい危険なのだ。

タイでは報道写真で、死体をそのまま写す。
死体専門雑誌などもあるという。
怖いです。

『ヨーロッパ医科学史散歩』
石田純郎(医史学)
考古堂(1996)


医史跡、医科学史博物館25ヵ国ガイド。

フランス
日本語とハングルが区別されていない。
鉄道は幹線で2時間に一本、準幹線だと一日2本も普通。
TGVは三時間に一本しかなく、速くても意味なし。
変な国だ。

室内に雨が漏るロシアのアエロフロート。
怖いよ、それ。

ウィーンでは観光業者や博物館員も嘘をつくという。
それはひどいな。

治安はヨーロッパのすべてで日本より悪い。
最悪はイタリアらしい。
またロンドンの対日感情は悪い。
日本人はイギリス人に嫌われているようだ。

『結核という文化』
福田真人(医学史)
中公新書(2001)


結核にまつわる医学史。

結核は肺だけの病気ではない。
結核は全身の部位を冒す病気である。

古代人はよく結核になった。
馬王堆の夫人も結核だったし、杜甫も結核にかかっていた。

日本人の由来に結核。
弥生人が稲作とともに結核をもたらした可能性。
これが遺伝的に弥生人を有利にしたとも言われる。

『王朝医学のこころ』
槇佐知子(古典医学研究、医学史)
四季社(2005)


東洋医学に親しみ四季を楽しむ。

梅毒は本当にアメリカ由来か。
大同類聚方に梅毒の処方あり、
また医心方に梅毒とおぼしき症例があるらしい。

著者と夫の話が壮絶だ。
が、あまりにびっくりなのでここには書かない。

・今日の一言
科学発展にはガラス器具が必要である。
Scientific development requires glassware.
과학 발전에 유리 기구가 필요하다.
科学发展必要玻璃器具。

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神と自然の科学史(講談社選書メチエ) [本(科学史/医学史]

『神と自然の科学史』
川崎謙(科学教育、理科教育)
講談社選書メチエ(2005)


教育に対する言語の影響の分析は面白いが、科学論としては失格。

科学は事柄を理解すること、技術は計画により何かを作ること。
科学の目的は認識、技術の目的は制作。
私なら、技術は認識を元にした行為だが、
科学は行為による認識といいたいな。

数学的記述をわかると同一視することが
西欧自然科学を成立させたという。
数学を理解した上で記述できれば、
対象を理解しているのだから当然である。
「わかる」ことの条件より
「数学で記述する」ことの方が厳しいのである。
対して、自分で数学に記述できるのに、わからないことは有り得ない。
数学で記述できないのに「わかる」ことは有り得る。

イデアとは?
五感で認識されず理性で認識される普遍的実在、
類的特性であり、数学的図形に類似する。
イデア論は、アフォーダンスに近いところを捉えていたように思う。

易経の繋辞伝
形而上者謂之道形而下者謂之器
形而上は道であり形而下は器。

聖書の言葉。
人はパンだけで生きるのではない、
神の口から出る一つ一つのことばによる。
後半は知らなかった。
キリスト教徒とは創造主の言葉よって生きる者というわけ。

言語の意味や冠詞については、
マーク・ピーターセンを読んで勉強しなおしたほうがよいと思われる。

西欧科学と呼び科学の普遍性を否定するのだが、
これはあまり説得力はない。
ある地方で発生したから、
その地方特有の背景を述べて特有だといってしまえば、
普遍的なものなど何もないだろう。
西洋哲学と東洋哲学は比較できるが、
西洋科学と東洋科学などという比較は成立しない。
範疇の階層が異なっているからだ。

タグ:川崎謙
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