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還愚の聖者法然上人 [本(仏教]

『還愚の聖者法然上人』
福冨覚成(浄土宗)
白馬社(2010)


父を殺した仇への恨み言や、
念仏弾圧をした者に対する非難も、
ひと言も申されていません。

親鸞は著書で激しい弾劾の文を残している

往生の業は念仏を本とする。源信
永観『往生拾因』
珍海『決定往生集』
『往生要集』の注釈を四冊残した法然
師の叡空から相承した円頓戒を伝承し続けた

花山信勝。A級戦犯の教誨師
生きていることが誹謗正法

かたみとて はかなき藤の とどめてし この別れさえ 又いかにせん。法然の母
Alas for me! what shall I do when I must even part
With this my boy, -- his fatther's one last gift to cheer my heart!

☆☆☆☆☆
法然の推論を追っているもの。

難易度3/5 推薦度3/5



『おおらかに生きる:法然』
石上善応(浄土宗)
中央公論新社(2000)


ヴィドゥーダバ王と義理の祖父マハーナーマン

法然が一生涯、怨みの世界を超えていくことを大きな柱とし、
それを見事に超えていかれたのはすばらしいことだ。唐木順三

遁世も隠者もうらみのあり方
求道者から救済者となった法然
愚痴=モーハ

念仏は木を伐ったり、草を刈ったり、
菜を摘んだり、あるいは水を汲むような類のもの
念仏に奥深きものはない

上品上生の者のみが、この世に還り来て、
人びとを救済することが可能になる
菩薩行を誓った蓮生、熊谷

墨染の衣に徹した法然
仏はひとり我がために法を説きたもう。余人のためにはあらず。

まことにほれぼれと念仏するにはしかず。
難民救済のボランティアはまさに菩薩行
民衆との問答が数多く残る法然
明恵は常不軽菩薩のようによく人を拝んだ
仏教には、忌みという事なし。

仏教とキリスト教が教えていることは奴隷になるなということだ。
ひろさちや

法然とイエス、許しが先、井上説。
罪を認めてから許している、ひろ説。

戒は人間の弱さを自覚するためにあり、
他人を糾弾するためにあるのではない。
ひろさちや

鎌倉仏教では法然浄土宗だけが真の仏教。
家永三郎

☆☆☆☆☆
So the wise, who see the cause of things and understand the result of work, know this work as it really is.
賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。彼らは縁起を見る者であり、行為とその報いとを熟知している。『スッパニパータ』653。

賢者は行為の由来と発展を観ることができる。
仏というのは、時間を超えた視点からものを見て、
今現在に生きることができる存在である。

難易度3/5 推薦度3/5



『無辺光』
山崎辨榮(浄土宗)
講談社(1969)


無辺光の四つの智慧
大圓鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智
観念、理性、認識、感覚に例すべきもの

山崎弁栄。
唯一絶対の如来があって、
その光明は無差別智である

明治の少し前に生まれ大正九年に亡くなる

浄土門で修行し四年で開眼、
浄土宗を出て光明主義という一宗を開く

色即是空
空とは心質にして色とは物質なり
物質と心質とは基本質にては相即して異なるものに非ざるなり

生物の元素フロハイオン
五眼。肉眼、天眼、慧眼、法眼、佛眼
安政六年生まれ大正九年遷化
1859-1920

真我の人によっては他の喜びは自分の喜びであり、他の悲しみは自分の悲しみである。
For people with an absolute ego other people's delight is their delight, and other people's grief is (also) their grief.

☆☆☆☆☆
目的論的進化論理解
物理学や生物学についての仏教哲学による理解を試みる
孔子の言葉も多い
写真が二枚目

難易度4/5 推薦度3/5



『法然行伝』
中里介山(作家)
ちくま文庫(2011)


七重宝樹の風の響
八功徳池の波の音として
風鈴を愛した法性寺の空阿弥陀仏 

☆☆☆☆☆
法然の伝承をまとめたもの。

法然には念仏を盗みに喩える例や恋愛に喩える歌もあるが面白い。

弟子の成仏予告の失敗例が面白い。
いつ迎えに来るか期日は阿弥陀さまが選んでくださるのであり、
自分で選んではいけないということだろう。

難易度1/5 推薦度3/5



miringa.jpg 『東の智慧西の智慧弥蘭陀王問経』
石上善応(浄土宗)
筑摩書房(1965)


ミリンダ王とはギリシア人メナンドロス王
およそ紀元前二世紀後半に
インドに侵入して統治した実在の人物
ナーガセーナは平易な言葉でメナンドロス王に解答する

解脱した人は肉体的な苦しみは感じるが、
精神的な苦しみは感じない

弟子の第一人者
智慧など普通のものから
はじめに食物のふだをえたものの第一
托鉢のよい受け手の第一など
ブッダはあらゆる弟子から一番を見た

知りつつ悪い行為をするより、
知らないままに悪い行為をする人の方がより罪過が大きい

念仏は船、いかなる重い罪にも沈まない
ブッダはすべてを知れる者、すべてを見通せる者
智慧は切断を特徴とする
永遠を凝視する究極の智慧
信仰は清め静めることと躍動を特徴とする

さとりを得るための七つの方法
七覚支。択法、精進、喜、軽安、捨、定、念

完全な平安を得た者には時間が存在しない
少しの時間をも空費することは自己の生命を減少すること
時間の最初の起点は認識されない。無明
モッガラーナ。目連は理由なくバラモンに襲撃され重傷を負って死んだ

☆☆☆☆☆
翻訳部分は三分の一ぐらい。
経典の中のブッダの発言の論理矛盾の指摘と文脈の違いの説明。

"仏はひとり我がために法をときたまう。余人のためにはあらず。大智度論"
親鸞の言葉の元か。方便について示す。ブッダはすべての人に対してその個人を見る

"修行者たちよ、精神の統一を修得しなさい。精神の統一した者はあるがままに知ることになる。ブッダ"
仏陀は対象から見えるそのままと過去と未来を見る。自分の鏡としての対象を見ない。それがあるがままを知る

"同じでもなく異なっているのでもなく、事象の連続が続いている"
"王が先生から詩を学ぶとき、詩が先生から王から移ったのではないように、輪廻も別の体から輪廻の主体が移るのではなく、ふたたび生じるもの"
"生まれでてくるものは名称・形状nama-rupa"
"王さま、勝義では、霊魂の存在は認められません。"
これは生物学者ドーキンスのミームの考えと全く同じと思う。

難易度3/5 推薦度4/5



『無量寿経』
増谷文雄(宗教学、仏教学、浄土宗)
宝文館(1961)


曇鸞、親鸞は無量寿経
道綽、善導、法然は観無量寿経
無量寿経は本願の書、観無量寿経は念仏の書、阿弥陀経は浄土の書
本願(purva-pranidhana)
凡夫(prithag-jana)一般の人々

☆☆☆☆☆
翻訳と解説書。

難易度2/5 推薦度2/5



『真実の自己』
笹本戒浄(浄土宗、光明会の指導者、心理学)
うぶすな書院(1999)


これから二度手を打ちます。
どちらが大きかったか、どちらの方が小さかったか、
比べて頂きます。
前の音を聞いた主と、
後の音を聞いた主と全く只の一人ですからね
時間が経ってもなくならない
皆さんがいると申さねばならない。

三昧という心は大宇宙と一体になる心
この身体がおよそ七年経つと残らず別のものに代わってしまう。
三昧、真言の修行、催眠術
お念仏すると宇宙が自己となり大我が自覚される

およそ七年以前の私と今の私とでは姿、形は似ていても、それを造っている物質からいうと全く別物である。米国の生理学者
This even goes so far that in about seven years the whole bodily substance of the human being is renewed. Materially speaking, an entirely new human being stands before you.

催眠状態を仏教では三昧という
念仏により三昧という心が働く

大円鏡智:一大観念
平等性智:一大理性
妙観察智:認識の本源
成所作智:感覚の本源
真如は観察することもできる
感謝の念仏は、聞け聞け
三昧の念仏は、成れ成れ

☆☆☆☆☆
多重人格者を生まれ変わりの前世の記憶で解釈している。
ちょっと古いからかな。

難易度3/5 推薦度2/5



nenbu_ri.jpg 『念仏の理解と表現』
藤吉慈海(哲学、浄土宗)
知恩院浄土宗学研究所(1968)


念々不捨、無間修の念仏
宗教は神と人間一般ではない私との対決
念仏とは永遠を念う、不死を念う

浄土宗の念仏は祈りの要素が強い
報恩の念仏というと真宗だと横槍が入る

宇宙の大生命の脈拍のリズムが、人間の声に共鳴したのが、
南無阿弥陀仏の口称と現成したのです。
仏の願力が念仏となって衆生の口をついて出てくるのである。

念仏の数が多いから自力ではない。
一念二念でも自力の念仏たるし
何千何万とえても他力の念仏たる

おおらかに念仏を申すことが第一

善導の念仏の御利益。
親縁、近縁、増上縁、滅罪、見仏、護念、摂生、証生

懺悔と感謝の意識がなければならない

政治、教育、産業、医学すべて南無である
三心:真実心、信仰心、向上心

草くさ、鳥とり、空そらはサンスクリット語が大和言葉になったもの、かかあも

総じてこれをいえば万行みな念仏なり。
別してこれをいえば口称名号をもって念仏とするなり。鎮西上人

如来の救済を心に思って称えなければならない
南無妙法蓮華経仏、創価学会
侘びの念仏。無智の人の道心はわびてがてらのことなり。
頭光踏蓮、九条兼実が見た法然
のんのんさまへなむなむしましょう
浄土の教えに自然悟道の密意あり、念仏は無辺の悟りにつらなるもの

☆☆☆☆☆
念仏の理解と表現についてたくさんの僧侶の意見を集めたもの。

難易度3/5 推薦度3/5



zendo_taishi.jpg 『善導大師:生涯と金言』
藤井実応(浄土宗)
浄土選書(1977)


法然上人の夢に二度現れる。
1175年春と1198年5月1日

偶然と思われる中に必然を見出すことが、
その人の正しい信仰の道程である。

われは深く汝を敬う、あえて軽んぜず、
汝らはまさに仏に成るべきが故に。法華経

一人の信者の捨身往生。宋代に善導自身と誤伝
阿闍梨は梵語のアーチャールヤ。教授、師範
善導は阿弥陀経を十万巻、浄土変三百枚を描く
法然は画人としても知られる

一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず、
念々に捨てざる者、これを正定の業と名づく、
彼の仏の願に順ずるが故に。

全縁起の精神は共生と現れる
韋提希は菩薩の化身ではなく愚かな劣れる平凡な女性とみた

☆☆☆☆☆
法然が画人?

難易度3/5 推薦度3/5



『善導の宗教:中国仏教の革新』
佐藤成順(仏教学、東洋哲学)
浄土選書(2006)


日本での善導の影響は
玄奘や鑑真より大きい

中国は禅と念仏に集約されて
中国仏教という大きな形をとっている

白蓮社の慧遠の念仏。般舟三昧経による念仏

一枝の蓮華を仏前に置いて、
七日の間行道して、その間に花が萎まなければ往生できる

観経の九品説は九品官人法より
善導の原文にない念仏の解釈

指方立相。浄土は西方に位置し、具体的な形をもってできている
三界を超える。空間を超越し形象の有無を超越
二河白道の喩え。中国では注目されず
懺悔を重視
善導の三昧体験。浄土を観る
『観経疏』霊異体験を伝承の証明とした
阿弥陀経を写すこと数万回
志磐の悪輩往生

☆☆☆☆☆
懺悔を重視したり、念仏を勧めたり、
善導はキリスト教=景教の影響がありそう。

難易度3/5 推薦度3/5



『浄土宗日常勤行の話』
香月乗光(浄土宗)
浄土選書(1995)


善をつむものには善はなしやすく、
悪をつむものには善はなしがたし。
悪をつむものには悪はなしやすく、
聖者には悪はなしがたし。

お念仏を申す心をすすめ深めていくように、
お経を読み、礼讃を唱えるのです。

法に順えば正であり善であり、
法に背けば邪であり悪である

人間の心は本来善であり、澄み切った美しいもの、つまり仏心である

生まれながらの神よりも、人間が努力して神の地位まで昇り得た仏陀が、遙かに尊いではないか。カイゼルリンク Keyserling
Gautama the Buddha is more godly than God himself.

法蔵菩薩の本願も世自在王如来の力添えがあってこそ。
阿弥陀の本願は仏たちの願いが込められている
経典の経は常。変わることのない真理
理法。釈尊が悟られた法
教法。釈尊が教えられた法
四十八願の三分類。仏身を成就12,13,17、浄土を完成31,32、衆生を救済その他

第十八願の念が声を立てて申す念仏であることは
観無量寿経の下品下生との組み合わせの結果
阿弥陀仏の光は三毒を破る

重源は死んで閻魔庁へ行ったとき
獄卒に南無阿弥陀仏を称えさせるため
自ら南無阿弥陀仏という法名を名乗った

☆☆☆☆☆
仏は智慧、如来は慈悲

難易度2/5 推薦度3/5



『法然全集〈第3巻〉一枚起請文・消息・問答,他』
大橋俊雄(浄土宗)
春秋社(2010)


念仏以外のつとめをしてもかまわない。
親孝行することもかまわない

信じていない人に、
無理強いして信じさせようと勤めてはいけません

念仏を非難する者は、地獄におち、永遠に苦しみを受ける

善導和尚は阿弥陀仏の化身

もともと念仏している人は、
臨終の用意など別にしなくてもよいのです。
仏が来迎して下さることは決まっているのですから

悪人が臨終のときに悔い改めての念仏と
一念でしなくてよいは異なる

現世の利益をうけるため、
仏や神にお祈りすることは、
決して悪いことではありません。

ただし往生のためにはならない
仏像をつくることは善い結果を生む功徳になる
念仏は前世の罪業を取り除く

もし、祈ることによって病いも治り、
寿命も延びるということであれば、
誰一人として病いにかかり、死ぬ人があろうか。

念仏をより多く申すと上品の位に生まれることができる
声を出さず念仏をとなえても結構です。
魚、鳥などの類は、療治のときのみ許されるものとお思い下さい。

極楽に九種の階位があるのは釈尊が人を導くための言葉。
善人も悪人も同じところだと悪人は思い上がりの心を抱いてしまうから

念仏は声に出さなくても往生のはたらきになるが、本来は声に出してとなえるもの
一念は阿弥陀仏の本願ではない
人は一人一人本願に出会う時期に遅い早いがある

深く信じて、心に仏のすがたを思い、
口にみ名をつまらないことだと思わずとなえ、
すでに往生したような気持ちで、
たえず努力すれば、自然に三心は具わってくるものです。

往生の利益を蒙ることができるのは平生の時
重い石があっても本願の船に乗りさえすれば往生できる
至誠心。内心と表面の一致
深心。仏の本願を信じて疑わない
廻向発願心。すべての目的を往生へと向ける
いざ、おぼえず。さあ、どうであったかおぼえていません。

阿弥陀経を十万巻読むと往生できる

極楽へ一度生まれたらみな仏になるので、
この世に帰ってくることはないが、
例外として人を導くために帰ってくることはある

説法を聴聞するのは功徳になる
尼法師が髪をはやすのは三悪道におちる行為
仏教に物忌みなし

真言宗でいう阿弥陀仏は自分の心の中に阿弥陀仏を求める。
浄土の教えでは阿弥陀仏は西方にいる

ひたすら阿弥陀仏に帰依するのを至誠心、
疑うことなく信ずるのを深心、
往生したいと願うのを廻向発願心という

救いの光は、一度照らしたからには、
いつもあと戻りすることのない状態になるというのは誤り
他の宗派の教えを誤りとして批判するのは仏の教法を誹謗する罪になる

入室の弟子は七人。信空、感西、証空、円親、長尊、感聖、良清

☆☆☆☆☆
法然の問答集は味わいがあって面白い。

難易度3/5 推薦度4/5

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