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浄土の哲学:高僧和讃を読む 上 [本(仏教]

『浄土の哲学:高僧和讃を読む 上』
大峯顯(浄土真宗、宗教哲学者、俳人)
本願寺出版社(2008)


宗教の本質は情にある

宗教とは宇宙の直観と感情であり、
無限を感じることだ。シュラエルマッハー

大乗仏教の教えの一番の根源は龍樹にある

私は命である、だから私の言葉を信じる者は、
私の永遠の命と一体になって、死ぬことはないだろう。ヨハネ伝

この私を離れて阿弥陀さまが特別におられるわけではない
現生正定聚の発見

猿の赤ちゃんが母にすがりついて運ばれるのが自力、
猫の赤ちゃんが母に首根っこをくわえられて運ばれるのが他力
仏教はみな他力

『葉隠』はアブノーマルな退廃した本

譬如净摩尼珠,置之浊水,水即清净。
たとへば浄摩尼珠を、これを濁水に置けば、水すなわち清浄なるがごとし。往生論注
조마니슈(浄摩尼珠)란 옥을 흐르는 물속에 던지면 옥의 힘으로 그 물이 깨끗해지는 것 같다.

☆☆☆☆☆
高僧和讃をキリスト教や宗教哲学ととも解説する。

"死んだら阿弥陀さまのお浄土にまいらせてもらいます。鈴木大拙"
禅宗でもそういうことになるのか。

"一日に三千億個の細胞が死ぬ"
多すぎでは?

難易度3/5 推薦度3/5



『信心の伝統:高僧和讃を読む 下』
大峯顯(浄土真宗、宗教哲学者、俳人)
本願寺出版社(2009)


主体性が真理である。キェルケゴール
『教行信証』は明恵への弁論の意味もある

信心とは如来さまの呼び声が聞こえて、
その呼び声に私が共鳴すること

環相回向
お浄土に着いたらすぐこの世に帰ってくる
娑婆とお浄土には絶えざる交流がある

中世では死を"自然のこと"と呼んだ

源信和尚はお釈迦さまが霊山で説法された時に聴衆として聞いておられた。親鸞の和讃

親鸞聖人は源信和尚を環相の菩薩と考えた
選択の行為の主体は法然個人ではなく阿弥陀仏

落ちていく太陽も地平線の向こうで輝いている。ゲーテ

人間は昼間は共通の世界に住んでいるが、夜は別々の世界に住む。ヘラクレイトス

草庵に眼を閉じる時が蓮台に目を覚ます時だ。法然

欲使前生者导后,后去者访前;连续无穷,愿不休止,为尽无边生死海故。
前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり。

☆☆☆☆☆
高僧和讃をキリスト教や宗教哲学ととも解説する。
宗教は現代のように死が遠く感じる世界では
また違ったものになるのかもしれない。

"お浄土は楽しむところと思って参ろうと思うものは仏にならない。蓮如"
浄土は仏になる修行の場であって、いわゆる天国とは目的が違うのである。

難易度3/5 推薦度3/5



『歴史の底から:正像末和讃を読む 上』
大峯顯(浄土真宗、宗教哲学、詩人)
本願寺出版社(2010)


信心とは時と永遠が結びつく出来事

デカルトが、
われ思うゆえにわれあり、
を発見したのは夢のなか

仏説無量寿経は宇宙的言語

法然の『選択集』に菩提心が書かれていないことを攻撃した明恵の『摧邪輪』、
菩提心は仏から回向されることを示したのが親鸞の『教行信証』

浄土教と聖道門の関係は、キリスト教とソクラテスの関係

法蔵菩薩は一如宝海という海の底から生死の世界へ出現された
仏教は真理探究の道

感じがすべてだ。ゲーテ
Feeling is all in all
ゲフュール・イスト・アレス
gefühl ist alles

真実の信心はかならず名号の具す

称名は如来が私をして称名させるもの、如来の回向、不回向という、選択集より

イエスの根本思想は神は自己否定だということ

法然上人は親鸞聖人にとっての還相の菩薩
阿弥陀さまは時間空間を超えている
方便化土は娑婆へ還る通路のない浄土
真実報土は還相の道がある

☆☆☆☆☆
"キリスト教の修道院には大砲や刀はないが、比叡山にはあった"
大砲が比叡山に?

難易度3/5 推薦度3/5



『君自身に還れ:知と信を巡る対話』
大峯顯(浄土真宗、宗教哲学者、俳人)
池田晶子(哲学者)
本願寺出版社(2007)


すべての出発点は、
自分が今ここにいるという不思議な実感です。
大峯

人間とは彼の言葉。大峯

ほんもののは哲学者はみんな詩人であっていい。池田

神を殺したのは科学ではない。シェーラー
宗教とは宇宙を感じること。シェライエルマッハー

技術の本質は真理の現れ。ハイデガー
自然のことあらば=戦死したら

仏さまに善悪はない
人間の善悪が仏さまの救済の妨げにならない

フィヒテのレーベン、ハイデガーのザインを動詞

釈迦といふ いたずらものが 世に出でて おほくの人を まよはするかな。一休
世の中は 食ふてかせいで ねておきて さてそのあとは 死ぬるばかりぞ。一休

空に鳥が飛んでいて鳥が空にぶつからないのは空が自分を否定しているから

キリスト教は超越的内在、神に人がある
仏教は内在的超越、自己の根源に仏がある
覚りは仏のほうがこちらに現れる

☆☆☆☆☆
老人の愚痴みたいになっている、特に科学に対して。

奔放な発言の哲学者が死の直前に対談した相手が、
浄土真宗の詩人哲学者というのは……

"科学によってすべてがわかると思っている。池田"
そんな科学者はほとんどいないよ

難易度3/5 推薦度4/5



『やさしく語る親鸞聖人伝』
白川晴顕(浄土真宗)
本願寺出版社(2011)


浄土真宗のご本尊は来迎仏ではない。
来迎仏は衣の裾が後ろにたなびき右足を半歩前に出す

わしは墓の下にはおらんでなあ。讃岐の庄松
念仏は行ではなく善でもない

親鸞聖人の基礎に天台一乗思想

真冬の滝行、朝に6-7分、
一日中体がポカポカしてどんな寒い日も暖房もいらない

蕎麦食いの木像、親鸞、天台の大乗院に

親鸞聖人も千日回峰行をされた、阿弥陀さまの周りを90日間歩き続ける常行三昧も
恵真尼との結婚は京都

法然聖人の弟子には他力念仏に自力を加えて理解する一群の人びとがいた
親鸞を批判した三人、勢観房源智、正信房湛空、念仏房念阿、後者二人は天台宗出身

恵信尼は三善家の娘で京都で九条家に仕えていた
恵信尼は親鸞より先に法然門下に入っていた
念仏房念阿は大原問答で比叡山を代表した
聖徳太子の絵像を掲げて念仏を布教
1230年新暦で7月に武蔵や美濃で雪が降った
同体の慈悲、距離を置かない慈悲

欲使前生者导后,后去者访前;连续无穷,愿不休止,为尽无边生死海故。
前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。
道綽

☆☆☆☆☆
難易度3/5 推薦度3/5
浄土真宗の基礎にある天台宗の解説が面白い。



『浄土真宗の教え』
久堀弘義(本願寺派)
法蔵館(1992)


道綽と源空から綽空
善導と源信から善信
天親と曇鸞から親鸞

如来はこれ実相身なり、これ為物身と知らざるなり。

『浄土論』こそは大乗仏教の極致
仏願の生起本末を聴聞する

春がきても春を見ることはできないが花を見ることができる。
阿弥陀さまは見えないが念仏は聞こえる

浄土真宗の現世利益。
行巻:喜び、安らぎ、往生確定
信巻:身も心も柔らかくなる、安らぎを覚える
護り、功徳、罪悪を転じる、諸仏の護り、諸仏の賛、阿弥陀の護り、法の喜び、報謝、大悲をひろめる徳、仏確定

価値を見出すことは宗教的ではない。宗教の世界は意味の世界

若眼不自見何能見餘物。
眼は自体を見ず、自体を見ざるがゆえに余物を見ず。釈迦

信の一念で浄土する、あるいは今ここが浄土などは間違い

浄土は有無が問題なのではなくて、
私が浄土に生まれたいのか、生まれたくないのか、
すなわち「願生心」が問われる

五逆は許されるが、正しい法を謗る者は往生できない。
仏と浄土を信じず望まないのだから往生できない

☆☆☆☆☆
曇鸞の『浄土論注』の解説

臓器提供の問題は、ドナーに子どももいることを考えていないのではないか?

"花は散っても花は死なない、人は死んでも人は死なない"
これ原文と少し違うような……

難易度3/5 推薦度3/5



shinran_gendai.jpg 『親鸞の教えと現代』
岡亮二(真宗学)
永田文昌堂(1996)


天人は他の天人の死を見ることができない

尽十方無碍光如来
時間的な全てと空間的な全てを
おおいつくして無限に輝いている如来

宗教の本質はすくいを説くこと
悪い状態がよくなること

さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべしと。歎異鈔
they are all alike, for they are alike behaving themselves simply under the pressure of their own Karma.

よき心のおこるも宿善のもよほすゆへなり。悪事のおもはれせらるるも悪業のはからふゆへなり。歎異鈔
According to the Law of Karma, the good will in our mind arises from the good Karma in our past existence, while the evil intention is caused by the evil Karma in the past.

公害をなくすのはそれを超えた科学の知識
科学の歪みを直していくのも、やはり科学
科学が発達して人間性がなくなったは嘘
死や不条理を超える力を与えるのが宗教

阿弥陀仏の非神話化を親鸞はすでに大成している
親鸞は『観経』や『阿弥陀経』の観仏は方便とした
阿弥陀仏の大悲に生かされていることを覚知される時が信の一念

真言宗では寺の規則は住職が自由に決めてよい
自分が自分で一生懸命に信心の確かさを確かめようとする、多念義

法然と親鸞は全く同じことを違った言葉で表現している。念仏に出会うことが全て
日本仏教最大の異端者は法然上人

神祇不拝は帰依の対象としてのみ、神々にも礼拝すべし
罪業もとよりかたちなし 妄想顛倒のなせるなり

ただ念仏して阿弥陀仏に助けられよ。法然
阿弥陀仏の大悲は大行、行は本来衆生の仏になるための行為

☆☆☆☆☆
オウム真理教の事件をきっかけに書かれたもの。
ミルグラムの電気ショック実験と、親鸞の業の比較は面白い。

難易度3/5 推薦度4/5



『今、浄土を考える』
勧学寮
本願寺出版社(2010)


南無阿弥陀仏は最初に阿弥陀仏からの呼びかけがある

浄土とは、仏の利他のはたらきが、
具体的な形をもって空間的にあらわされた世界

華厳経では南、般若経では東が特別な方向

四弘誓願。すべての仏の共通の願い
広略相入。浄土のありよう

☆☆☆☆☆
"金塊でドラえもんにすると"
似た解説を読んだな……

難易度2/5 推薦度3/5



tariki_taido.jpg 『他力の大道 曽我量深講義集 第12巻』
曾我量深(浄土真宗)
大法輪閣(2009)


阿弥陀の本願は阿弥陀の国の憲法である
国の憲法は国の本願である

第三十三願。触光柔軟の願
第十一願。浄土に生まれる者は正定聚

六波羅密
着物を縫うなら:子どもに与えるのが布施、
女のたしなみと思えば持戒、
着物により人間が苦難に耐える力を得るから忍辱、
時を忘れて縫うから精進、
楽しんで一切を忘れ心を統一するから禅定、
縫うことで心が明るいのは智慧。
法華経にあり

奇蹟なく不思議のないところに
どうして信仰があり得るのかというのが日蓮の浄土教批判

仏がわからないのではなく自分がわからないもの
五刧の間に人間性のすべてを観察思惟により明らかにした

大師上人すなわち法然上人が地獄においでになるならば、
大師上人のおいでにならぬ極楽よりも、
地獄に喜んで行きます。

☆☆☆☆☆
"二大政党になって政治が明るくなると思ったら……。"
なんと昭和32年のこと。
二大政党がいいもんじゃないのは既に経験済みだったのである。

難易度2/5 推薦度3/5



『真宗の本義』
信楽峻麿(真宗)
法藏館(2014)


阿弥陀仏とは釈迦仏のさとりといのちを
象徴表現したもの

仏の声を聞く聞名の道
仏さまは見るものではなく声を聞くもの
親鸞は源信の『阿弥陀経略記』を読んで
仏の声を聞くことで仏に出会う仏道を知った
十方諸仏の称名のコーラスの中に参加してこそ
私の称名念仏が生まれてくる

真宗の二つの信心、信楽と真心
信楽、prasannacitta

日々の称名念仏の相続において、私の称名が、
仏の呼び声、招きの声として、
聞こえてくるという聞名になってこそ、
まことの信心としてのめざめ体験が成立する

三顧転入、化身土文類、19願の仮門の道⇒20願の真門の道⇒
仏法に遇うとは嘘に遇うことだ。

日本人は、集団を超えるところの公共、パブリックの精神が乏しい

信心、チッタプラサーダ、cita prasada
信心を得るならば何らかの意味で人格変容が生まれる

無量寿経には兵器と軍隊をもってはならないとある
観無量寿経には決して他人を殺してはならないとある

伝統教学は西山浄土宗や鎮西浄土宗を取り入れている
名体不二は呪術信仰に転落している

☆☆☆☆☆
親鸞のみ、親鸞さま、と表記するのが気味悪い。
ロスアンゼルス別院で語ったもの。

"法然浄土教も東西本願寺の伝統教学も親鸞が否定した外道"
"蓮如の教義も親鸞が外道と排斥したもの"
"清沢満之も誤り"
かなり過激な意見だ。

"法蔵菩薩はいま現在、衆生の数だけ無数に存在しているとする"
数々成仏説、これは面白いと思う。

難易度3/5 推薦度3/5



『仏事Q&A 浄土真宗本願寺派』
前田壽雄(浄土真宗本願寺派)
国書刊行会(2014)


お守りは売らない。
現世祈祷にたよらない

お寺で結婚式をする場合、
服装は和装洋装どちらにも対応できます
オルガンと雅楽
七五三もできる。神社でする理由はない

お釈迦さまは35歳のときにさとりを開いた
浄土真宗では戒名ではなく法名

謹んで○○様のご仏前に申し上げます。……どうかお浄土で私たちをお導きください。ご哀悼の意を表しいたします。
お仏飯にパンをお供えしてもよい

ナモアミダブツ
親鸞聖人はナモと読み仮名をふっているから

☆☆☆☆☆
今のお寺は洋装で結婚式もできるのか……

難易度1/5 推薦度3/5



『慈悲の光:浄土三部経』
瓜生津隆真(浄土真宗)
中央公論新社(2000)


浄土に生まれた菩薩、
自分の思いにとらわれることなく自由自在

方一尺の天地 水馬、しきりに円を描ける
汝、いずこより来たり
いずこほ旅せんとするや ヘイ、忙しおましてナ。
村上志染

仏法には明日と申すことあるまじく候。蓮如

キリスト教においては神は愛であると同時に厳しい審判者である。柳

つねにわれらを照らす大悲の風
だれが風を見たでしょう

智慧、智は方便、慧は般若
仏の教えは心の物指し
懺悔=クシェーマ

浄土は直線的で左右均衡であり、
日本のような不均衡を尊ぶ観念はない
浄土では人工的な音である音楽が流れる

現世での復讐を来世に期待するフランスの老夫婦
ユダヤ教の買い戻しの長子制度、
いったん子供を神に返してから買い戻す

子供は仏様からの預かりもの

英語のライバルの語源は、同じ水を共に使う者
敗壊の菩薩は役所と同じ

宗教の原点は、明日のことを思い煩うな、未来の心配をするな。
戦後の農地解放でお寺の土地を取り上げたため財源を失ったお寺は葬式仏教として民衆を相手に営業を始めた。
農耕的自然を悪として退治することを教えたのが釈迦。
極楽世界は林野庁そのものの人工世界、すべてが人工で自然は一つもない。
宗教心は自然に近づいたら出てくるものではない。
以上、ひろさちや

☆☆☆☆☆
奥本大三郎、瓜生津隆真、ひろさちやの鼎談が面白い。

難易度3/5 推薦度3/5



『親鸞』
三木清(哲学者)


体験に裏打ちされた思想
宗教は体験ではなく真理の問題
美や文芸とみてはならない
賛歌と懺悔
後悔ではない、後悔には自分の力に対する信頼がある

絶対的なものに任せたとき言葉は聞くものとなる、現実が自己を語る
無常を語らない親鸞、倫理実践的に、無常を超えて罪悪感に

機とは自覚された人間存在
機:未だ発現しない可能性、相関性、対応性
末法と破戒と無戒、無戒は破戒に劣る
悪人正機の説の根拠は末法思想
親鸞は弟子一人ももたず
親鸞めづらしき法をもひろめず

三顧転入
万行諸善の仮門=19願⇒善本徳本の真門=20願⇒選択の願海=18願

教行信証で唯一仏典でない引用は論語
世間の法については論語によるべきとした、
儒教のヒューマニズムを重んじた
仏法があるによって世間の法たる仁義礼智信が出てくる

☆☆☆☆☆
親鸞は儒教の素養もあるようだ。
仏法から儒教が生まれる見たのかも。

難易度3/5 推薦度3/5



『死の解決:仏教の妙処』
江部鴨村(仏教学者、印度哲学、浄土真宗)
潮文社(1996)


妻子珍宝及王位、臨命終時不随者。
妻子も珍宝もおよび王位も、
命終の時にのぞんで随わざるものなり

独生独死、独去独来。

生死のなかに仏あれば生死なし。

死にたいする絶望的あきらめと達観的あきらめ

我も人も生まれるということもなく、
また死ぬるということもない。
かような道理をさとるならば、彼は無上の人である。

悟った人も肉体上の苦痛は感じるが精神上の苦痛は感じない。

人間万事塞翁が馬

一仏成道して法界を観見すれば、草木国土ことごとく仏と成る

☆☆☆☆☆
生まれることもなく、死ぬこともないことを悟る、か。

難易度3/5 推薦度3/5

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