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ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう:意識のハード・プロブレムに挑む [本(脳科学]

『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう』
鈴木貴之(心の哲学)
勁草書房(2015)


構成による説明
実現による説明

チャルマーズ
心理学的意識と現象学的意識

盲視は心理学的意識と現象学的意識の乖離する例
クオリアとは意識経験そのものの性質ではなく、
意識経験の志向的対象の性質である

感情経験にともなう独特の感じはみずからの身体の性質
志向説、意識経験において見いだされるのは外界の事物とその性質だけ

結びつけ問題は視野の中央で重ねているから解決不要の問題

本来的表象は、世界をありのままに写し取ることを目的とするのではなく、
みすからの生存にとって有用な仕方で世界を文節化することを目的とする

知覚経験は本質的に自己中心的な表象形式を持つ

内観 instropection
結びつけ問題 binding problem
不注意盲 inattentional blindness
変化盲 change blindness
本来的志向性 intrinsic intentionality
派生的志向性 derived intentionality
オシツオサレツ表象 pushmipullyu representation
消費理論 consumption theory

☆☆☆☆☆
難易度3/5 推薦度3/5

クオリアの欠けたゾンビは論理的矛盾があると思う。

デネットと信原は意識にかんする消去主義、ラディカルな修正主義だそうで、
私もここに入るのかもしれない。

p126、スワンプマンの議論は変だと思う。
どう考えても同一の意識を持つ存在が生まれ、ゾンビは有り得ない。

物理的な世界には、経験される性質という、
物理的性質に還元不可能な性質も含まれる、
というがこれこそアフォーダンスではないか?

・今日の一言(本文より)
What is it like to be a bat.
コウモリであることはどのようなことか。
박쥐가 된다는 것은 무엇인가?
成为一只篇幅可能是什么样子。

タグ:鈴木貴之
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