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浄土教とキリスト教:宗教における救済と自覚 [本(仏教]

jodo_crist.jpg 『浄土教とキリスト教:宗教における救済と自覚』
南山宗教文化研究所
春秋社(1990)


浄土真宗というものはプロテスタントとそっくりで、
両方ともきっと同じ悪魔のわざだ。
カトリック宣教師

仏教の救済の原語は、uttarana, paritrana
親鸞にとって信心を得ることは新しく智慧を得ること
浄土の慈悲は往生して仏となりて衆生を利益すること

往生した心地す。決定往生。法然。
親鸞は法然の言葉を具体化した
親鸞は還相廻向を死後と考えなかった。寺川
還相とは如来の働きに参加すること。信楽
キリスト教の終末の働きはすでに現在働いている。八木
摂取の益をこうむるのは平生のときなり。法然
宗教の言葉の意味は特定の生き方へのコミットメントを表現

東方教会のイエスの祈りは称名念仏に近い

自我と自己の区別、エゴとプシュケー、
理性とレーベン、末那識と阿頼耶識
名号を称うるは、賛嘆、懺悔、願生を表す。親鸞
ストゥーパ信仰から浄土教へ
キリスト教は人間の肉欲や感情を否定的なものと見ない
浄仏国土、成就衆生。龍樹『大智度論』
仏の国土を浄らかにして衆生を成就する
この世に仏国土を成就する発想へ
無縁の大悲、いつか縁ができる
言葉とその表現するものの違い、南無阿弥陀仏においては一致する

本当の往生というのは浄土のないところで浄土の功徳を生きていく、
つまり自分は浄土に行かないという覚悟を持って、
この世で智慧と慈悲に立った人間の交わりを一歩一歩実現していこうという、
これが実は往生なのだ。
寺田

親鸞は浄土の具体的描写を嫌っていた

☆☆☆☆☆
難易度3/5 推薦度3/5

親鸞は法然の言葉を具体化した、というのはまさにその通りだと思う。
複数の著者によって解釈が違うのが面白い。
特に往生をどう解釈するかわかれる感じだ。

・今日の一言(本文より、聖書、マルコ1-15)
神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。
The time is fulfilled, and the Kingdom of God is at hand! Repent, and believe in the Good News.
때가 되었다. 하나님 나라가 가까이 왔다. 회개하고, 복음을 믿어라!
日期满了,神的国近了!你们当悔改,信福音!

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