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時と永遠 他八篇(岩波文庫) [本(哲学思想]

『時と永遠 他八篇』
波多野精一(宗教哲学、思想史)
岩波文庫(2012)


時間の哲学。カント、ライプニッツ、アリストテレス、プロティノスなど。

現在は決して単純なる点に等しきものではなく、一定の延長を有しまた一定の内部的構造を具えている。すなわち時間に点ではなく最小の大きさがある。これは時間は意識であり、意識には最小単位があるためだろう。意識は脳の再入力回路に生まれるので、その一周に必要な時間が、主観的時間の最小単位となるのだ。

永遠の今において過去と未来はなくなるが将来は残る。現在は直観であり将来は期待であり過去は記憶である。過去も将来も自己の過去と将来としてのみ有意味である。過去は回想、将来は構想。すべては現在なのだ。

・今日の一言(アウグスティヌス)
過去についての現在とは記憶であり、現在についての現在とは直観であり、未来についての現在とは期待である。
The present of things past is memory, the present of things present is immediate intuition, the present of things future is expectation.
过去的现在(记忆),现在的现在(直观),将来的现在(期待)
과거에 관한 현재는 기억이며, 현재에 관한 현재는 직관이며, 미래에 관한 현재는 기대이다.

『宗教哲学序論・宗教哲学』
波多野精一(宗教哲学、思想史)
岩波文庫(2012)


トマス・アクィナス、バルト、ブルンネル、シュライエルマッハ、エックハルトなどを解説する。

循環論は哲学においてはむしろ体系と名づけうるものの必然的属性である。我々は循環論を悪しき論理と誤解しやすいが、生産的な循環論、矛盾無く循環できる体系こそ、優れた論理なのである。

ヘーゲル哲学の基本的中心的信念は神は精神であるということ。ヘーゲルの歴史哲学は神の進化論と言えるかもしれない。

宗教においてはすべての表現は象徴である。経典の大げさな言葉、空想的な表現も象徴として捉えるのが正しい。というわけだが、どんなデタラメもごまかせるし、検証可能性も全くないし、そもそもその宗教が生まれたとき、同時代の人は象徴として捉えていたとは思えず、都合の良い詭弁にも思える。

宗教が人間の思考の産物であることを暴露する言葉。クセノファネスは、牛や馬や獅子が人間のように技術を知っていたならば己自らのままの姿に神々を描くであろう。と言った。古代も現実主義者がいたのである。

タグ:波多野精一
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