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人はいかにして神と出会うか:宗教多元主義から脳科学への応答 [本(脳科学]

『人はいかにして神と出会うか』
ジョン・ヒック(宗教哲学)
法藏館(2011)


原題:The New Frontier of Religion and Science 2006

この宇宙はおそらく何十億個もある宇宙の一つだ。
our universe as one of perhaps billions of universes

ヒックのアプローチは、それぞれの宗教を、「苦しみや死を含むそうした有限性のストレスに対して応答する準備にかかわるもの」として見ることに依拠しています。
Hick's approach relies upon seeing each of the religions as concerned with providing responses to the stresses of finitude, including suffering and death.

このヘルメットを使った人のほぼ全員が人の気配を感じ、その多くが聖女マリアやイエスといった宗教的な幻影を見たといっている。
nearly all who have used it report the sensation of a presence. Many also see religious visions such as the Virgin Mary or Jesus.

すなわち脳と手の両方に同時に刺激を与えたところ、どちらも同時のはずが、直接脳に与えた刺激よりも手の触感のほうが先に意識に現れた。
when he applied stimuli to both the brain and the hand simultaneously, the touching of the hand was consciously experienced before the stimulation of the brain directly.

(決定論のデネットの定義)どの一瞬にも確かにひとつの物理的に可能な未来がある。
there is at any instant exactly one physically possible future.

自由な行動というものは、無作為でも決定論的でもありえない。
Free action can be neither random nor determined.

アンベードカルは世界宗教を丹念に調べてから仏教を選んだが、それは仏教がもともとインドで興った宗教であり、つねにカースト制を退けてきたからである。
Ambedkar chose Buddhism, after a careful study of the world religions, because it was a religion of Indian origin that had always rejected the caste system.

☆☆☆☆☆
意識の本質は時間を含むこと。
物質は時間を持たない。
この当たりに勘違いがあると思う。

決定論と自由意志が両立しないという錯覚は
主体と客体という二元論の誤謬から生まれる。

・今日の一言(本文より)
when he applied stimuli to both the brain and the hand simultaneously, the touching of the hand was consciously experienced before the stimulation of the brain directly.
すなわち脳と手の両方に同時に刺激を与えたところ、どちらも同時のはずが、直接脳に与えた刺激よりも手の触感のほうが先に意識に現れた。
즉 뇌와 손 양쪽을 동시에 자극하면 둘 다 동시인데 직접 뇌에 준 자극보다 손의 촉감이 먼저 느껴졌다.
同时刺激大脑和手,比直接给于大脑的刺激,先意识到的是手的触觉。

『脳科学は宗教を解明できるか: 脳科学が迫る宗教体験の謎』
芦名定道(宗教学)
春秋社(2012)


感覚遮断により宗教経験を作ることができる

弱い創発主義は心が脳や身体に因果的影響を及ぼすことを認めない

デイヴィス:
心と身体は二元的な二つの成分ではなく、
階層の異なる二つの概念である。

幻聴では一次聴覚野が活性化され内語では抑制される
側頭葉にはゴッド・スポットと呼ばれる神や超越的存在にかかわる領域がある

隙間の神。God of the gaps。
科学的に説明できない点を神の概念で埋め合わせしている

ニューロ・ダルマは仏教の瞑想をバックアップする

宗教という概念は17-18世紀に形成され19世紀に成立
それまでは儀礼実践の意味がない
宗教が当たり前の時代には宗教という言葉はなかった
宗教を客観的にみる必要がなかったから
宗教は世俗の誕生とともに生まれた

☆☆☆☆☆
神の非存在の証明は容易なものではないというが、
そもそも非存在は証明できない。
証明は存在を主張する側がしなければならないものである。

ポパーの三世界論は、
概念の階層の違いと考えれば理解しやすいと思う。

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