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法然の手紙:愛といたわりのことば [本(仏教]

honennotegami.JPG 『法然の手紙:愛といたわりのことば』
法然(浄土宗開祖)
人文書院(1991)


法然の性格がよくわかる。お勧め。

この世のためにする祈りは、
往生のための祈りではないのですから、
仏や神にいくら祈っても少しもかまいません。

一生のあいだ悪いことばかりした者が、
臨終のときの一度の念仏によって往生するのは、
それが懺悔に支えられた念仏だからです。

多く唱えれば上品の位に往生する

仏の本願は称名であるから声に出すことが第一

心に念ずるのも念仏のうちに入る

生きとし生けるものは過去世における父母であるから食べてよいものではない

名号をとなえるならば、三心おのずから具わる

女人は本願の正客

☆☆☆☆☆
法然についてずっと考えていたのだが、最近だいたい理解できたような気がする。

当時、仏典に書かれたことはすべて真実であり疑う余地はない。しかし仏教の修行は難しすぎて成仏できるものは誰もない。仏教は万人を救うものなのに何かが足りない。

『仏説無量寿経』の四十八願には、阿弥陀は浄土に生まれたいと願って自分の名を唱えるものが浄土に生まれることができなければ私は仏にならないと宣言している。阿弥陀はすでに仏であるから、阿弥陀の名を唱えれば、浄土に生まれることができるとわかる。成仏は無理でも往生ならできる。

法然自身も、長時間の念仏による神秘体験において浄土を何度も見たため、『仏説無量寿経』の四十八願を確信する。

昔の人の学習とは暗記のことである。智慧第一と言われた法然はおそらく主要な仏典のほとんどが頭に入っていた。だから何か特別な思想を立てるような余地はなかったと思う。『一枚起請文』には、別の仔細候わず。とあり、複雑な思想や理論があるわけではないことを説明している。

法然の言葉は、「どうすれば相手が念仏をするようになるか」という観点からすべて語られている。研究者として何が正しいかを語るのではなく、心の医療者として結果として相手が救われるために発言しているので、相手によって言葉が違う。なぜなら法然の望みは自分の正しさを主張することにはなく、一人でも多くの人を救うことに目的があるからである。

親鸞は宗教者であり哲学者であり思想家というべきだけども、法然は全く違う。もし現代に法然が生まれたら、宗教家にはならず、おそらく医師か科学者になるように思う。

・今日の一言
一丈の堀を越えようとする人は、一丈五尺を越えようと励むであろう。
한 장(丈)의 해자를 넘으려는 사람은 한 장(丈) 5척(尺)을 넘으려고 힘쓸 것이다.
要跳跃一丈沟的人,要努力跳一丈五尺沟吧。
The person who leaps a moat one jo wide strives to leap a distance of one jo and five shaku.

タグ:法然
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