[OPD補足] 乙武twitterに見るユーモアの方程式 [OPD]
乙武さんのツイッターが凄いと話題
乙武twitterの自虐ネタがかなりすごい。ただし不謹慎と感じて気分が悪いと思う人も多いようだ。不謹慎と感じる人と、そうでない人に分かれるのはなぜか考えてみる。
乙武氏は仕掛け人と被害者を兼任する方式で、ユーモアを構成している。例えば、女性にもてない男性がもてない話をするのと基本的に構造は同じである。
ここでその不謹慎の段階が想定できる。
1.乙武氏が手足のないことを自虐ネタにする。
2.ハゲの男性がハゲを自虐ネタにする。
3.引きこもりの男性が引きこもりを自虐ネタする。
4.勉強のできなかった人が自分の無知さを自虐ネタにする。
おそらく4.を不謹慎と感じる人は皆無であり、4<3<2<1、と不謹慎度が増すであろう。重大なもの、あるいは自己責任度が低いものほど不謹慎度が増すのである。
また乙武氏の発言がすべて他人の発言だったら面白いと感じる人はあまりいないと思う。乙武氏の発言の頭に"乙武は"という主語を入れて第三者の発言に変更すると面白くも何ともないであろう。本人の発言であるから、観客の視点として読むことができるのである。
しかし観客の視点であってもなお面白いと感じず、不謹慎と感じる人もいるようだ。不謹慎と感じる人は、いじめを目撃してしまったような不快感を覚えるようである。
実際、いじめの被害者が日常的に自虐的ジョークを言っていたケースが多々ある。本人もいじめられていたことを否定し、あれはジョークだからと言うため、周囲の人には仲が良かったと認識されるのであるが、実際にはそうではない。いじめられているという事実を受け入れることをプライドが許さないため、いじめを自虐ジョークであると名前を変えてプライドを保っているケースが多いのだ。
乙武氏の発言を不謹慎と感じる人たちは、上記の、目に見えにくいいじめのタイプを認識して反応しているためではないかと思う。
☆
このエントリーを書くのに"不謹慎"という単語の意味を辞書をひいてびっくり。明らかに実際に使われている意味と違うのだ。辞書では"不注意"のこととしているが、乙武氏の発言は意図的であり、不注意などではない。不謹慎という言葉は、今は"不注意"というより、"軽い悪質さ"ぐらいの意味で使われていると思う。おそらくテレビで多用されることにより、本来の意味とは別の単語になってしまったため、国語辞典と一致しないのだと思われる。
☆☆☆☆☆ ユーモアの条件のまとめ(再掲) ☆☆☆☆☆
・仕掛け人、被害者、観客の三要素を満たす
大人は仕掛け人、被害者、観客の三要素からなる認識のフレームを持っていて、自分が観客であると認識したとき可笑しさを感じる。
笑わせたい人を、攻撃行動の傍観者になるように場を作る。
・笑う人は観客のみ
笑わせたい人を観客にすること。被害者=攻撃対象は笑わせたい人とは別に設定する。被害者=攻撃対象は笑わせたい人の身内や大切な人など同一化しやすい対象ではいけない。
オチがわかってはいけない。オチがわかるのは仕掛け人であり、観客ではない。罪悪感が生まれやすい。
なぜそうなるか理屈が理解できなければならない。理解できないのは被害者の視点だからである。恐怖、驚きが生まれやすい。
・適切な強度を保つ
過剰に攻撃的ではいけない。被害者が可哀想に感じるほどではいけない。
毒舌タレントの発言が笑いを生むには、その攻撃をする理由が理解できること、過剰に深刻でないこと、毒舌の対象が観客の自己同一化する相手ではないことなどが必要となる。
・ユーモアの本質は攻撃形式
いじめの場面は憤りを覚えるが、ちょっとした悪ふざけしている子供たちを見ているのが可笑しいのは、強度の違いにある。
このために有効なのが、各種の笑い理論で指摘される認識のずれを利用する方法である。ずれによって攻撃を的外れなものにし、強度を弱めることができるからである。従って認識のずれ自体は笑いやユーモアにとって本質的なものではない。小さな子供たちがじゃれあって遊んでいるのを見るのは面白いが、ここには認識のずれというものはないのである。
・ユーモアの進化
ユーモアは子供の失敗を許容するために生まれたもの。また大人はユーモアを相互に交換することで、お互いが平等であることを認識する。
・ユーモアの誤解例
一般人に多いのが笑わせたい相手を攻撃してしまうこと。笑うのは被害者ではなく観客なので、第三者か自分をネタ=被害者にしなければならない。
芸人に多い誤解は、何でもいいから奇妙なことをして笑いを取ろうとすること。奇妙な行為や発言がユーモアとなるには、その発言や行為が誰かへの攻撃の形式を持っていること、なぜそんなことをするのか笑わせたい相手に理解できなければならないのである。
・今日の一言
The comedian had us in stitches.
那个丑角使我们大笑不止。
あのコメディアンに私たちは抱腹絶倒させられた。
그 개그맨에게 포복절도하게 했다.
乙武twitterの自虐ネタがかなりすごい。ただし不謹慎と感じて気分が悪いと思う人も多いようだ。不謹慎と感じる人と、そうでない人に分かれるのはなぜか考えてみる。
乙武氏は仕掛け人と被害者を兼任する方式で、ユーモアを構成している。例えば、女性にもてない男性がもてない話をするのと基本的に構造は同じである。
ここでその不謹慎の段階が想定できる。
1.乙武氏が手足のないことを自虐ネタにする。
2.ハゲの男性がハゲを自虐ネタにする。
3.引きこもりの男性が引きこもりを自虐ネタする。
4.勉強のできなかった人が自分の無知さを自虐ネタにする。
おそらく4.を不謹慎と感じる人は皆無であり、4<3<2<1、と不謹慎度が増すであろう。重大なもの、あるいは自己責任度が低いものほど不謹慎度が増すのである。
また乙武氏の発言がすべて他人の発言だったら面白いと感じる人はあまりいないと思う。乙武氏の発言の頭に"乙武は"という主語を入れて第三者の発言に変更すると面白くも何ともないであろう。本人の発言であるから、観客の視点として読むことができるのである。
しかし観客の視点であってもなお面白いと感じず、不謹慎と感じる人もいるようだ。不謹慎と感じる人は、いじめを目撃してしまったような不快感を覚えるようである。
実際、いじめの被害者が日常的に自虐的ジョークを言っていたケースが多々ある。本人もいじめられていたことを否定し、あれはジョークだからと言うため、周囲の人には仲が良かったと認識されるのであるが、実際にはそうではない。いじめられているという事実を受け入れることをプライドが許さないため、いじめを自虐ジョークであると名前を変えてプライドを保っているケースが多いのだ。
乙武氏の発言を不謹慎と感じる人たちは、上記の、目に見えにくいいじめのタイプを認識して反応しているためではないかと思う。
☆
このエントリーを書くのに"不謹慎"という単語の意味を辞書をひいてびっくり。明らかに実際に使われている意味と違うのだ。辞書では"不注意"のこととしているが、乙武氏の発言は意図的であり、不注意などではない。不謹慎という言葉は、今は"不注意"というより、"軽い悪質さ"ぐらいの意味で使われていると思う。おそらくテレビで多用されることにより、本来の意味とは別の単語になってしまったため、国語辞典と一致しないのだと思われる。
☆☆☆☆☆ ユーモアの条件のまとめ(再掲) ☆☆☆☆☆
・仕掛け人、被害者、観客の三要素を満たす
大人は仕掛け人、被害者、観客の三要素からなる認識のフレームを持っていて、自分が観客であると認識したとき可笑しさを感じる。
笑わせたい人を、攻撃行動の傍観者になるように場を作る。
・笑う人は観客のみ
笑わせたい人を観客にすること。被害者=攻撃対象は笑わせたい人とは別に設定する。被害者=攻撃対象は笑わせたい人の身内や大切な人など同一化しやすい対象ではいけない。
オチがわかってはいけない。オチがわかるのは仕掛け人であり、観客ではない。罪悪感が生まれやすい。
なぜそうなるか理屈が理解できなければならない。理解できないのは被害者の視点だからである。恐怖、驚きが生まれやすい。
・適切な強度を保つ
過剰に攻撃的ではいけない。被害者が可哀想に感じるほどではいけない。
毒舌タレントの発言が笑いを生むには、その攻撃をする理由が理解できること、過剰に深刻でないこと、毒舌の対象が観客の自己同一化する相手ではないことなどが必要となる。
・ユーモアの本質は攻撃形式
いじめの場面は憤りを覚えるが、ちょっとした悪ふざけしている子供たちを見ているのが可笑しいのは、強度の違いにある。
このために有効なのが、各種の笑い理論で指摘される認識のずれを利用する方法である。ずれによって攻撃を的外れなものにし、強度を弱めることができるからである。従って認識のずれ自体は笑いやユーモアにとって本質的なものではない。小さな子供たちがじゃれあって遊んでいるのを見るのは面白いが、ここには認識のずれというものはないのである。
・ユーモアの進化
ユーモアは子供の失敗を許容するために生まれたもの。また大人はユーモアを相互に交換することで、お互いが平等であることを認識する。
・ユーモアの誤解例
一般人に多いのが笑わせたい相手を攻撃してしまうこと。笑うのは被害者ではなく観客なので、第三者か自分をネタ=被害者にしなければならない。
芸人に多い誤解は、何でもいいから奇妙なことをして笑いを取ろうとすること。奇妙な行為や発言がユーモアとなるには、その発言や行為が誰かへの攻撃の形式を持っていること、なぜそんなことをするのか笑わせたい相手に理解できなければならないのである。
・今日の一言
The comedian had us in stitches.
那个丑角使我们大笑不止。
あのコメディアンに私たちは抱腹絶倒させられた。
그 개그맨에게 포복절도하게 했다.
タグ:乙武
コメント 0