アンジャッシュに学ぶユーモアの方程式 [OPD]
昨日のエントリーでユーモアとは何かを解説し、ユーモアの必要十分条件を提示した。今日は実践編として、アンジャッシュのコントを取り上げて解説する。
キュータくん
仕掛け人:キュータくん
被害者:渡部お兄さん
観客:観客
攻撃性の表現
キュータくんの台詞は渡部お兄さんに対する攻撃性に満ちている。渡部お兄さんを尻に引いたり、火事の原因にしたり、子供相手なのに食後にタバコを吸うとか、防災キャンペーンをぶちこわしにするような発言をして渡部お兄さんを困らせるのである。
基本的に被害者は渡部お兄さんだけであるが、電話を置き忘れたという部分でのみ児嶋も被害者として設定されている。
論理的納得性の工夫
台詞を誤用することで渡部お兄さんに対する偽攻撃が生まれるのであるが、その理由として児嶋が遅刻したためにリハーサルが出来なかったことが宣言されている。こうすることで、キュータくんの台詞の誤用を観客に納得させている。
またキュータくんの台詞は「タバコを吸う」を除くと一度は正しく使っている。一度正く使ってから誤用するのである。もしただの児嶋の押し間違いなら、こんなことは有り得ないわけで、ここに工夫があるのだ。一度正しく使うことで、観客に台本にそういうキュータくんの台詞があることを納得させておくのである。「タバコを吸う」は火事原因として自然なのでいきなり使って問題ないのだろう。逆に「おいしい」「興奮する」などは一度使わないと不自然で、笑いよりも困惑を生みやすい。
キュータくんの台詞の後に、渡部が丁寧に突っ込むことで説明しているのも興味深い。顔面を打った子供に「おいしい」といったあと、「芸人じゃないんだから」とキュータくんの言葉の意味を説明することで、観客を納得させるのである。
お天気お姉さん
仕掛け人:児嶋一哉
被害者:渡部建、お天気お姉さん
観客:観客
攻撃性の表現
お天気お姉さんが来ないため、かわりに録音で済ました結果、おかしな放送となり、司会の渡部を被害者として困らせるわけである。あまりに不自然で視聴者にバレバレで司会として困っているのだ。
「好きな日中最高気温は何度ですか」という質問では、これを言わされる渡部が被害者となっているだけであるが、後の「今後大型になる恐れはありませんのでご安心ください」という台詞では、間違った応答するお天気お姉さんと、困る渡部がまとめて被害者として描かれ、強く笑いが生まれる。
後半ではお天気お姉さんを大酒飲みでエッチ好きということにしてしまい、お天気お姉さんを被害者として大きくクローズアップしている。この二重の被害構造が強力な笑いを生み出している。
論理的納得性の工夫
お天気お姉さんの言葉がすべて、天気予報で使われるもののに限定されている。こうすることで、観客を納得させているのである。
またお天気お姉さんが欠席であること、音源を用意したといった納得の工夫も巧みである。
これはすごい。正直、アンジャッシュは天才ではないかと思った。ここではついに仕掛け人は完全に消え去り、電話する二人とその相手までが被害者の枠組みに組み込まれているのだ。
仕掛け人:偶然
被害者:渡部、児嶋、誘拐犯、彼女
観客:観客
攻撃性の表現
ここでは電話の相手に対する攻撃性が成立するように出来ている。二人の無関係な電話の会話の組み合わせの結果生まれるイメージが攻撃性を生み出すように出来ている。
例えば、誘拐犯/彼女は、服装が黒ずくめのパンチパーマなのに赤のミニスカートだったりする。あるいは渋谷のハチ公に乗る渡部を想像したりする。トリックにかかって勘違いした会話という枠組みにピッタリとはまる会話が連鎖していくのだ。
最期は、渡部自身もエロビデオ好きとして描かれる。父親の深刻さの横でアダルトビデオの返却を訴える台詞がリズミカルに呼応することで、誘拐犯被害者たる父の憤慨を、ビデオ返却要求と同レベル化してしまい、攻撃性を生み出している。
論理的納得性の工夫
お互いの台詞がうまくかみ合うように工夫されている。父親と誘拐犯の会話、恋人同士の会話、友人同士の会話として、それぞれ自然なようになっている。
このコントはあまりにうまく作られているために、笑いよりも感心してしまい、拍手が目立つのも注目点である。
☆☆☆☆☆ ユーモアの条件のまとめ(再掲) ☆☆☆☆☆
・仕掛け人、被害者、観客の三要素を満たす
大人は仕掛け人、被害者、観客の三要素からなる認識のフレームを持っていて、自分が観客であると認識したとき可笑しさを感じる。
笑わせたい人を、攻撃行動の傍観者になるように場を作る。
・笑う人は観客のみ
笑わせたい人を観客にすること。被害者=攻撃対象は笑わせたい人とは別に設定する。被害者=攻撃対象は笑わせたい人の身内や大切な人など同一化しやすい対象ではいけない。
オチがわかってはいけない。オチがわかるのは仕掛け人であり、観客ではない。罪悪感が生まれやすい。
なぜそうなるか理屈が理解できなければならない。理解できないのは被害者の視点だからである。恐怖、驚きが生まれやすい。
・適切な強度を保つ
過剰に攻撃的ではいけない。被害者が可哀想に感じるほどではいけない。
毒舌タレントの発言が笑いを生むには、その攻撃をする理由が理解できること、過剰に深刻でないこと、毒舌の対象が観客の自己同一化する相手ではないことなどが必要となる。
・ユーモアの本質は攻撃形式
いじめの場面は憤りを覚えるが、ちょっとした悪ふざけしている子供たちを見ているのが可笑しいのは、強度の違いにある。
このために有効なのが、各種の笑い理論で指摘される認識のずれを利用する方法である。ずれによって攻撃を的外れなものにし、強度を弱めることができるからである。従って認識のずれ自体は笑いやユーモアにとって本質的なものではない。小さな子供たちがじゃれあって遊んでいるのを見るのは面白いが、ここには認識のずれというものはないのである。
・ユーモアの進化
ユーモアは子供の失敗を許容するために生まれたもの。また大人はユーモアを相互に交換することで、お互いが平等であることを認識する。
・ユーモアの誤解例
一般人に多いのが笑わせたい相手を攻撃してしまうこと。笑うのは被害者ではなく観客なので、第三者か自分をネタ=被害者にしなければならない。
芸人に多い誤解は、何でもいいから奇妙なことをして笑いを取ろうとすること。奇妙な行為や発言がユーモアとなるには、その発言や行為が誰かへの攻撃の形式を持っていること、なぜそんなことをするのか笑わせたい相手に理解できなければならないのである。
・今日の一言
午前0時過ぎから明け方にかけて大荒れになります。
오전 0시 넘어서부터 새벽녘에 걸쳐서 폭풍우가 됩니다.
从零点到黎明要起大风暴。
There will be some violent weather from 12:00 am until dawn.
キュータくん
仕掛け人:キュータくん
被害者:渡部お兄さん
観客:観客
攻撃性の表現
キュータくんの台詞は渡部お兄さんに対する攻撃性に満ちている。渡部お兄さんを尻に引いたり、火事の原因にしたり、子供相手なのに食後にタバコを吸うとか、防災キャンペーンをぶちこわしにするような発言をして渡部お兄さんを困らせるのである。
基本的に被害者は渡部お兄さんだけであるが、電話を置き忘れたという部分でのみ児嶋も被害者として設定されている。
論理的納得性の工夫
台詞を誤用することで渡部お兄さんに対する偽攻撃が生まれるのであるが、その理由として児嶋が遅刻したためにリハーサルが出来なかったことが宣言されている。こうすることで、キュータくんの台詞の誤用を観客に納得させている。
またキュータくんの台詞は「タバコを吸う」を除くと一度は正しく使っている。一度正く使ってから誤用するのである。もしただの児嶋の押し間違いなら、こんなことは有り得ないわけで、ここに工夫があるのだ。一度正しく使うことで、観客に台本にそういうキュータくんの台詞があることを納得させておくのである。「タバコを吸う」は火事原因として自然なのでいきなり使って問題ないのだろう。逆に「おいしい」「興奮する」などは一度使わないと不自然で、笑いよりも困惑を生みやすい。
キュータくんの台詞の後に、渡部が丁寧に突っ込むことで説明しているのも興味深い。顔面を打った子供に「おいしい」といったあと、「芸人じゃないんだから」とキュータくんの言葉の意味を説明することで、観客を納得させるのである。
お天気お姉さん
仕掛け人:児嶋一哉
被害者:渡部建、お天気お姉さん
観客:観客
攻撃性の表現
お天気お姉さんが来ないため、かわりに録音で済ました結果、おかしな放送となり、司会の渡部を被害者として困らせるわけである。あまりに不自然で視聴者にバレバレで司会として困っているのだ。
「好きな日中最高気温は何度ですか」という質問では、これを言わされる渡部が被害者となっているだけであるが、後の「今後大型になる恐れはありませんのでご安心ください」という台詞では、間違った応答するお天気お姉さんと、困る渡部がまとめて被害者として描かれ、強く笑いが生まれる。
後半ではお天気お姉さんを大酒飲みでエッチ好きということにしてしまい、お天気お姉さんを被害者として大きくクローズアップしている。この二重の被害構造が強力な笑いを生み出している。
論理的納得性の工夫
お天気お姉さんの言葉がすべて、天気予報で使われるもののに限定されている。こうすることで、観客を納得させているのである。
またお天気お姉さんが欠席であること、音源を用意したといった納得の工夫も巧みである。
これはすごい。正直、アンジャッシュは天才ではないかと思った。ここではついに仕掛け人は完全に消え去り、電話する二人とその相手までが被害者の枠組みに組み込まれているのだ。
仕掛け人:偶然
被害者:渡部、児嶋、誘拐犯、彼女
観客:観客
攻撃性の表現
ここでは電話の相手に対する攻撃性が成立するように出来ている。二人の無関係な電話の会話の組み合わせの結果生まれるイメージが攻撃性を生み出すように出来ている。
例えば、誘拐犯/彼女は、服装が黒ずくめのパンチパーマなのに赤のミニスカートだったりする。あるいは渋谷のハチ公に乗る渡部を想像したりする。トリックにかかって勘違いした会話という枠組みにピッタリとはまる会話が連鎖していくのだ。
最期は、渡部自身もエロビデオ好きとして描かれる。父親の深刻さの横でアダルトビデオの返却を訴える台詞がリズミカルに呼応することで、誘拐犯被害者たる父の憤慨を、ビデオ返却要求と同レベル化してしまい、攻撃性を生み出している。
論理的納得性の工夫
お互いの台詞がうまくかみ合うように工夫されている。父親と誘拐犯の会話、恋人同士の会話、友人同士の会話として、それぞれ自然なようになっている。
このコントはあまりにうまく作られているために、笑いよりも感心してしまい、拍手が目立つのも注目点である。
☆☆☆☆☆ ユーモアの条件のまとめ(再掲) ☆☆☆☆☆
・仕掛け人、被害者、観客の三要素を満たす
大人は仕掛け人、被害者、観客の三要素からなる認識のフレームを持っていて、自分が観客であると認識したとき可笑しさを感じる。
笑わせたい人を、攻撃行動の傍観者になるように場を作る。
・笑う人は観客のみ
笑わせたい人を観客にすること。被害者=攻撃対象は笑わせたい人とは別に設定する。被害者=攻撃対象は笑わせたい人の身内や大切な人など同一化しやすい対象ではいけない。
オチがわかってはいけない。オチがわかるのは仕掛け人であり、観客ではない。罪悪感が生まれやすい。
なぜそうなるか理屈が理解できなければならない。理解できないのは被害者の視点だからである。恐怖、驚きが生まれやすい。
・適切な強度を保つ
過剰に攻撃的ではいけない。被害者が可哀想に感じるほどではいけない。
毒舌タレントの発言が笑いを生むには、その攻撃をする理由が理解できること、過剰に深刻でないこと、毒舌の対象が観客の自己同一化する相手ではないことなどが必要となる。
・ユーモアの本質は攻撃形式
いじめの場面は憤りを覚えるが、ちょっとした悪ふざけしている子供たちを見ているのが可笑しいのは、強度の違いにある。
このために有効なのが、各種の笑い理論で指摘される認識のずれを利用する方法である。ずれによって攻撃を的外れなものにし、強度を弱めることができるからである。従って認識のずれ自体は笑いやユーモアにとって本質的なものではない。小さな子供たちがじゃれあって遊んでいるのを見るのは面白いが、ここには認識のずれというものはないのである。
・ユーモアの進化
ユーモアは子供の失敗を許容するために生まれたもの。また大人はユーモアを相互に交換することで、お互いが平等であることを認識する。
・ユーモアの誤解例
一般人に多いのが笑わせたい相手を攻撃してしまうこと。笑うのは被害者ではなく観客なので、第三者か自分をネタ=被害者にしなければならない。
芸人に多い誤解は、何でもいいから奇妙なことをして笑いを取ろうとすること。奇妙な行為や発言がユーモアとなるには、その発言や行為が誰かへの攻撃の形式を持っていること、なぜそんなことをするのか笑わせたい相手に理解できなければならないのである。
・今日の一言
午前0時過ぎから明け方にかけて大荒れになります。
오전 0시 넘어서부터 새벽녘에 걸쳐서 폭풍우가 됩니다.
从零点到黎明要起大风暴。
There will be some violent weather from 12:00 am until dawn.
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