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物質とは何か? [OPD]

matter
 That which occupies space, possessing size and shape, mass,movability, and solidity (which may be the same as impenetrability). Its nature was historically one of the great subjects of philosophy, now largely pursued through the philosophy of physics.
 Plato and Aristotle passed on a classification of matter into four kinds (earth, air, water, and fire) but also the view (not necessarily held by Aristotle himself) that any such division reflected a different form taken by one prime, undifferentiated matter or hyle. In Aristotle there is also a fifth kind of matter (quintessence) found in the celestial world, whose possessors were thereby exempt from change.
 This physics was replaced from the 17th century onwards by classical conception first of corpuscles and then of modern atoms. In modern physics, the tidy picture of inert massy atoms on the one hand, and forces between them on the other, has entirely given way.
 The quantum mechanical discription of fundamental particles blurs the distinction between matter and its energy, and their interaction. Philosophically, however, quantum mechanics leaves considerable unease of its own.

物質
 固体性(不可入性と同じであろう)と、大きさと形と質量と可動性と持つ、空間を占めるもの。物質の性質は歴史的に哲学の一つの重要なテーマであり、今は物理学の哲学を通して広く研究されている。
 プラトンとアリストテレスは、四種類(地空水火)の物質の種類だけでなく、そのような分類のすべてが、一つのそれ以上分割できない主要な物質や質料によってとられたさまざまな違いを反映しているという概念(アリストテレス自身に固執する必要はない)を後に伝えた。アリストテレスの体系にはまた、それを持つものは変化することがない、天界に見いだされる五番目の物質(エーテル)がある。
 この物理学は17世紀以来、現代の原子と素粒子の最初の古典的概念によって取って代わられた。現代物理学おいては、不活性で大きな原子の整然とした図式やそれらの間の力といった考えは、完全に取って代わられた。
 素粒子の量子力学的描写では、素粒子の相互作用や、物質とそのエネルギーの違いは曖昧である。しかしながら、哲学的には量子力学それ自身が少なからぬ困惑となって残っている。


Q.物質とは何か
 辞書などの物質の定義は、質量もしくはエネルギーを持ち、ある場所を占めているもの。電子や原子はもちろん、広義には光子も含むとされる。

 さて、ある場所を占めているというのはどういうことか?
 その占めているところに何かを侵入させると運動が変化するということである。ビリヤードの玉の衝突をイメージするとよい。ものを見るという場合も、その占められたところから発された光を受けとっているし、あるものを手で触る場合も、手と物質の作用がある。
 作用することができない、すなわち、侵入した方もされた方も影響しなかった場合、すり抜けたわけで、この場合、そこには何もなかったから通り抜けたと表現する。
 "ある"というのは、作用しているということ、作用することができるということだ。
 この作用のある範囲を大きさと呼ぶ。たとえば箱の大きさは手で触って反応がある範囲なわけである。

 問題となるのは、その作用が行われていないとき物質はあるのかということだ。認識するためには光などなんらかの2つ以上の存在の相互作用がなくてはならない。物質というのは、単独では確認できないのだ。そういう意味において物質とは仮説的存在であるということができる。
 物質には階層がある。分子を構成するのは原子で、原子を構成するのはクォークなど素粒子。電子や光子も素粒子である。

 物質とは何かということが大きく問題になったのが、ヤングの二重スリット実験である。
 一つの光源から1つのスリットを通して照らすと、その後ろのスクリーンには一本の直線を中心した光が照らされる。
 2つのスリットを通して照らすと、後ろのスクリーンには2本の直線ではなく縞模様が現れる。これは光は電磁波であるので干渉を起こすためだ。
 光は光子と呼ばれ、粒子と考えられているが、ここでは波として振る舞うのである。
 この照らす光を少しずつ弱めていくと縞模様がだんだん薄くなっていく。完全に光を消せば真っ暗になるが、その直前にすることで最小の光、光子一粒を出すことができる。
 すると、縞模様ではなく一点の痕跡がスクリーンに残る。
 このとき一粒の光子により一点が照らされるのであるから、一つの光子は2つスリットのどちらかを通ったと考えられる。
 ところが、この光子一粒の計測を何度も繰り返し続けていき、それを記録したものを合計すると、そこには縞模様ができる。一粒ずつ通過したのに干渉を起こしているのだ。いったいどうしてそんなことができるのか。

 まず光一粒を発するというのはどういうことか考えてみる。光一粒はどのように確認しているのか。それは痕跡としての一点を確認することによる。決して、スリットを通過するのを確認したわけではない。すなわち光一粒という考え自体に問題がある。
 ただ光は波として二つのスリットの両方を通して伝播したのだ。このとき粒子という要素はないわけだ。ではなぜその波が一点の痕跡を残すのか。
 その後の実験で、光子だけでなく電子や中性子でも同じことが起こることが確認された。あらゆる物質に波としての要素があるのだ。
 するとスクリーンもまた波としての要素を持っていることがわかる。痕跡を残すスクリーンの側にも波動性があり、その波と光の波がかみ合ったときの頂点がそこに残る。そして、そのスクリーンの波と光の波の状態は計測する方法がないため、その結果はランダムになる。すると、光の波動性による干渉の結果通りの痕跡がスクリーンに残るわけである。
 相互作用する瞬間のみ粒子としての性質を見せるのだということだ。そのため素粒子は位置と運動を同時に特定できない。位置がわかるときは運動はわからず、運動がわかるときは位置がわからない。波は運動するだけで位置を持たず、粒子は位置するだけで運動しないからである。

 このミクロの世界をイメージするならば、プールがよいだろう。あなたはプールの外の地面すれすれからプールの方を見ている。するとプールの水面は見えないが、見えない水面ではたくさんの水があり、波打っている。これが数学的に波動関数によって記述される世界だ。そして大きな波があったり、波同士がぶつかると頂点を作って水しぶきがあがる。このときはじめて水が見える。これが物質というわけである。
 物質というのは波が相互作用した瞬間のことを示しているのである。物質が、ある位置にあるというのは、2つの波が衝突して方向転換したときに生まれる波の頂点のことなのだ。
 光子といった小さな物質だけでなく、大きくて堅い鉄などの物質もその中で波立っており、それが安定した形で反復しているのである。
 物質とは波が衝突する焦点である。

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