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日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で [本(日本語学習]

『日本語が亡びるとき/水村美苗/筑摩書房/2008』
著者:小説家、日本近代文学、仏文学
評価:二流小説家のただの妄想……「と」本、文句なし


著者は言う。

英語により言葉が滅びるのを、
言語学者は素人のたわごととして聞き流すに違いない。

……ぶったまげた。本を取り落としてバク転しそうになったくらいだ。
言語学者こそがその危惧を主張し、本を書いているのに。
言語学者にとってのありふれた意見を
言語学者も考えなかっただろうと得意げに公言しているのだ。
滑稽この上ない。
これだけで著者が言語学の知識が全くないことを暴露している。
言語についての本を書くというのにだ。呆れてモノが言えない。

著者の感じる危惧は理解できないでもない。
大学で学問をする上での英語の有利性はいうまでもない。
学問するための言語として、
英語はその権威を確立してしまっているからだ。

しかしそれはまさに理系の学問での話であり、
文系ではそれぞれの言語で研究することにこそ価値がある。
それなのにだ。

本屋に並んでいる本を目にすると文学の終わりを身を以て感じるという。
英語が普遍語になる前から日本の文学は内側から幼稚になったという。
叡智を求める人が国語で書かれたテキストを真剣に読まなくなる可能性。
叡智を求める人は日本語で書かれた文学は読まなくなったという。

ようするに今の文学に興味がないというだけだ。
全くただの近代文学オタクだね。

文学だって進化する。
はっきりいうが、明治の文豪程度よりも、
浅田次郎、宮部みゆき、東野圭吾の方がずっと格上である。
もし文豪たちが現代に生きていれば、
自分の才能のなさに絶望して断筆してしまうだろう。

純文学にこだわって考えても、
村上龍、村上春樹らが劣ると考える理由はないし、
そもそも純文学で読者数の少なさを憂うのは馬鹿げている。

幼稚なのは疑いようもなく著者である。
要するに、今の文学はなっとらんという、
典型的な"今の若者は"症候群である。
馬鹿すぎて泣けてきそうだ。

イギリス人やフランス人は、
苦もなく三百年以上前の読まれるべき言葉を読むことができるという。
これなど明確に嘘である。
読めるのはごく一部の人に過ぎない。

だいたい過去の文学が読めるのが偉いなら、
中国人が一番偉いことになるだろう。

自分の住む"広く見える狭い世界"で幻想を見ているに過ぎないのだ。
こういう英語を使って世界で広く活動する人は、
自分の世界の狭さが見えていないことが多い。
世界の広さは、どんな人と付き合うかで決まるのであって、
外国人と付き合うことで広くなるわけではないのだ。

・今日の一言
大学で研究するのに英語ができないと不利である。
Your poor English will put you at a disadvantage position when studying at university.
연구할 때 영어를 못 하면 불리하다.
在大学里做研究的话,不会英语的人处于不利的立场。

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