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捨聖・一遍上人(講談社現代新書) [本(人物伝記]

『捨聖・一遍上人/梅谷繁樹/講談社現代新書/1995』
著者:時宗教学
評価:一遍上人の生涯がわかりやすい

法然の言葉。
念仏して眠いなら、目の覚めているときに念仏しなさい。
無理して念仏しても意味ないわけ。念仏は修行ではないのだ。

今のおどり念仏は能に似るが当時のはより激しかったらしい。
けっこう楽しいもの、あるいはトランス状態っぽいのかも。

念仏札を受けた人は250万人。
一遍は一日平均に434人に配ったという。
大変な旅である。

南無阿弥陀仏と一遍唱えるだけで極楽に往生する。
念仏すれば仏もなく我もなくという状態になる。往生である。

妄念という価値判断がある限り、
迷いや苦しみから抜け出せない。
妄念から自由であるところが浄土。

罪業を苦行で懺悔する必要はない。
名号に往生と救済の絶対力がある。
往生は確かな信仰があってかなうのではない。
信は不要なのである。
信ですら妄念であるのかもしれぬ。

心の外に極楽を求めると我欲となるが、
名号に入り込めばそこが極楽となる。

キリスト教における祈りにも近いかもしれない。

『親鸞-悪の思想/伊藤益/集英社新書/2001』
著者:日本思想
評価:悪人正機説とは何かを知る

浄土教は大無量寿経の第十八願を採り上げ、
念仏を唱え続けることを人々に勧める。

専修念仏とは?
覚りを開いて仏と等しい境地に立つことなど凡夫にできない。
ただ弥陀の本願に頼るのみとする。

法然の思想。
易行を実践するだけでよい。
これにより貴賤貧富老若男女の区別を排すことができたらしい。

悪人正機説とは万人悪人説。
善人なほもつて往生を遂ぐ。いはんや、悪人をや。
自らの悪を自覚している者が悪人、
自分が善と思っている者が善人。
自分が悪と自覚する者は自己を信頼しないから弥陀の本願に委ねるが、
善人は自己を信頼するから弥陀の本願にすべてを委ねない。
だから悪人が往生するわけ。

思想研究者にありがちな皮相な科学批判もある。
数式は西欧諸言語を抽象化して得られたものといい、
自然科学も信仰を基盤として成立するものとする。
強引に自分の土俵に引きずり込む考え方だ。
また客観的な研究は現実的な意味を持たないという。
しかしそれでは研究者ごとバラバラになってしまうと思う。

『蓮如-聖俗具有の人間像/五木寛之/岩波新書/1994』
著者:作家、仏教史
評価:親鸞と蓮如の対比がわかりやすい

親鸞は求道者で、蓮如は伝道者。
親鸞のあしきおのれを自覚し、蓮如のいやしきおのれを自覚する。

過酷な世相。
1461年の寛正の大飢饉。京都の餓死者82000人。
ある僧侶が自殺を許可したら、自殺が続出し慌てて禁止したとも。

蓮如は、最後の子どもは84歳のとき。実子が27人もいた。
異常な体力だね。

・今日の一言
善人なほもつて往生を遂ぐ。いはんや、悪人をや。
Even sinners can go to Pure Land. More over, bad person can go there easier than good person.
선인(善人)도 왕생한다. 하물며 악인(惡人)임에랴….
善人尚能往生,何況惡人哉。
连善人都能成佛,更何况恶人。

タグ:蓮如 親鸞 一遍
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