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荘子=超俗の境へ(講談社選書メチエ) [本(東洋史]

『荘子=超俗の境へ』
蜂屋邦夫(中国思想史)
講談社選書メチエ(2002)


恵子の論理学と荘子の認識論を知る良書。

相手がなければ自分というものはなく、
自分もなければ心のざわめきも起こらない。
これを著者は孤高の隠者のこととしているが、
これは認識論の自我の問題、心理学における自己認識の問題と思う。
私とは他者と分離されることで認識されるのだ。

生死は気の集散に過ぎず集まっては散り散っては集まり、
それが無限に繰り返されるものという。
精神の生の死を正しく捉えた驚くべき認識論であると思う。
気を情報と呼べば、そのまま現代哲学の問題に対する回答になるのだ。

『中国遊仙文化』
汪涌豪(中国古代文学)
青土社(2000)


古典の抜き書き収集分類本。

王莽の仙人願望。
自分は上仙するとの詔を出した。
あるいは仙人の子喬が迎えに来るなどという。
120人の后妃を置き髭と髪を黒く染めたりした。

王莽は、陰険な謀略家と考える向きもあるが、
むしろ極めて純粋な人間と見るべきと思う。

魏伯陽の周易参同契にいう。
金は性が敗朽しないので万物の宝、
術士が服食すれば寿命が長久になると。

類感呪術の思考法そのままやね。

『諸子百家〈再発見〉』
浅野裕一(中国哲学)
岩波書店(2004)


掘り起こされる古代中国思想。

竹簡とはどんなものか。
縦の最長は57.2cmで最短23.8cm。
幅は1cm以内で、厚さ0.1cm程度。
それを三ヵ所で結ぶのが普通で、2ヵ所の場合もある。
竹簡は編綴が前提で木簡は単独で使うもの。

諸子百家の学派名は前漢末の七略より。
当時からあったのは儒、墨、兵の3つのみ。
道家も前漢初期に生まれた。
法の意義を高く評価する儒家の出土資料"徳治"。
戦国中期以前には儒家と道家の対立はなかった。

儒家と墨家は激しく対立していたが、
道家や法家は後から名付けられたものである。
道家も法家も、あくまでの儒家の内部の一派と見るべきなのだ。

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