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中国遊侠史 [本(東洋史]

『中国遊侠史』
汪涌豪(中国古代文学)
青土社(2004)


資料。遊侠に関する記述が詰め込まれている。

三国志の許褚伝が侠客という言葉の出典とのこと。

江南の大侠甘鳳池。
清初の八大拳勇の一人で内丹と外丹の奥義に通じ
手で錫器を握って溶かすことができたという。
……そんな無茶な。(笑)

光武帝劉秀はすこぶる任侠だという。
そうそう。劉秀は侠客一家の三男坊よ。

太原では群をなして博打して騒いだ李世民。
皇帝になってから旧友と昔話する。
李世民も家臣と楽しそうだ。

顔師古曰く、
撃剣は剣を遠くから撃ってあてるもので
斬ったり刺したりするものではないという。
というと、剣を投げる技が撃剣なのかな?

『世界遺産高句麗壁画古墳の旅』
全浩天(考古学)
角川oneテーマ(2005)


日本と共通する文化が多い。

高句麗壁画に見られる聖徳太子と同じ髪型の"みずら"
流鏑馬もある。
張り手中心の相撲図も。

韓国のテレビ時代劇、
朱蒙や淵蓋蘇文には"みずら"の人は出てこないなあ。
残念だねえ。

『皇帝政治と中国』
梅原郁(中国宋代史、法制・制度史)
白帝社(2003)


皇帝を軸に現代まで語る。

前漢の陵墓の顔かたちは全体に四角く切れ長の目、
秦の人は顔が三角で大きめの目、
秦とその他の国とは民族が違っていたようだ。

廉とはかどめのないきっかりとがった性行・法官吏向き
孝は儒家向き
諸生には儒教の章句・文吏に行政文書類の牋奏で試験する。
孝廉とは法家と儒家に対応するというわけ。

王莽は、ギョロリとした赤い目、大きな口、短いあご、
動物的な大きな声、雲母の扇子で顔を隠し、妙な服装を好むという。
全体に女性っぽいんだよな、王莽って。

後漢王朝は前漢を矮小化したコピーだという。
光武帝が頭が上がらなかった馬皇后の頃から皇后が強かったという。
馬皇后は明帝やで!
全く、研究者はなぜ後漢をろくに調べもせず低評価するのかねえ。

杖で官吏を殴打した皇帝、隋の楊堅、明の朱元璋。
ここに光武帝も加わる。劉秀くんも暴君の仲間入り?

康煕帝は15人力の弓をひく怪力。
虎を135頭、狼を96匹倒した。
酒タバコ女性に興味なく、
朱子学を教えを一途に実行して勉強しまくりの人。
名君って大変だな。

雍正帝は、毎日朝4時起床0時就寝。
ワーカホリックだ。よく体力もつよな。
赤ペン皇帝恐るべし。

『戦国秦漢時代の都市と国家』
江村治樹(東洋史)
白帝社(2005)


古代の都市を知る。

宋代の人口の都市比率は25%、11世紀イギリスは5%。
宋の産業の発達がよくわかる。

斉の臨淄の人口は30-40万人。
気になったのは、前漢の首都の長安の人口が24万だということ。
統一国家の首都が、戦国の斉の首都より小さいなんて……
都市の人口とは商業の力の反映でもある。
都市という消費者集団を支えるのが商業だからだ。
前漢がいかに商業的に不振で経済が発達していなかったかがわかる。

『朱子と王陽明』
間野潜龍(東洋史、明)
清水新書(1984)


二人の生涯と思想を知る。

内藤湖南
両税法の価値とは所有の自由、居住の自由を認めたもの。
所有と居住の自由は唐からということか。

朱子
性は気によって乱されているので、
人欲を去って天理そのものになることが人間の課題。
それは学問により理を知らねばならない。
学ぶことが大事ということ。

『儒教思想』
宇野精一(中国哲学、儒家思想)
講談社学術文庫(1984)


よくまとまった良書。

今文:漢代の現代文字・漢の博士により伝えられた隷書のテキスト
古文:秦統一以前の古代文字の意味・篆書のテキスト

宋代・孟子の学説を受け仏教と道教の影響のもと性理の学が生まれる。
人間の本性を宇宙に原理に基づけて哲学的に窮めるもの。

四書五経というが、
五経は漢の武帝のとき、四書は南宋の朱子より。

老子:善く戦うものは怒らず
おおっ。台風娘の扇子の言葉は老子だったか。

孟子の性は一人一人の人間を対象とした倫理であり、
荀子は人間集団とした社会政治。
心理学と社会学の違いといったところか。

『奇貨居くべし春風篇/宮城谷昌光/中公文庫/2002』
『奇貨居くべし天命篇/宮城谷昌光/中公文庫/2002』
『奇貨居くべし火雲篇/宮城谷昌光/中公文庫/2002』
『奇貨居くべし黄河篇/宮城谷昌光/中公文庫/2002』
『奇貨居くべし飛翔篇/宮城谷昌光/中公文庫/2002』
著者:白川静が好きな作家
評価:やっぱり初期の方が名作だよなあ

呂后の父は呂不韋の子か?
ってそんなわけないじゃん。

何つーか、宮城谷氏の描く主人公って全部同一人物に思える。
みんな聖人になっちゃいますね。
殷周や春秋初期の作品の方が質が高いと思う。

小説とは何かと考えた。

事実を伝えるのが記事。
推論を伝えるのが論文。
感動を伝えるのが小説。

小説の技法を考えている。
視点こそが小説の鍵。
宮城谷氏の小説では、神の視点からの描写。
神の視点から入りときどき登場人物の視点になり、
章の終わりぐらいにまた神の視点へと戻る。
神の視点がベースなので、登場人物の直接の心理描写は一行のみ。

――それは違うはずだ

みたいにして、後は説明する文にする。
割と頭に入りやすい技法で歴史ものに適していると思う。

小説の文章を分類してみる。
大きく分けると、

1.情景描写
2.台詞と脳内の台詞
3.状況説明

この3つに分かれる。
これらはそれぞれ脳の機能に対応する。

それぞれが読者に与えるものが違う。
1.は読者に感情を与え、2.は思考を与え、3.は記憶を与える。

ぐらいだろうか。
これはそのまま、記事、論文、小説に対応する。
描写中心が小説、
台詞中心が論文、
説明中心が記事、

詩は、小説をさらに強くした感じかな。
小説にも詩心が必要なわけだ。

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コメント 2

巫俊(ふしゅん)

こんにちは、はじめまして。

>呂后の父は呂不韋の子か?

という点ですが、90年代くらいの時期に、その可能性を指摘した日本語の論文があったと記憶してます。
佐竹氏の『劉邦』でも同じような説が出てきますし、証明のできるような状態じゃない説ですが、まことしやかにささやかれてますねぇ。

論文の論題が思い出せないのですが(汗)

何か明智光秀の一族による徳川将軍家乗っ取り伝説を思い出します。
すごく魅力的ではあるのですが。
by 巫俊(ふしゅん) (2007-02-28 08:35) 

Kay-akira_Hirota

こちらでは初めまして。
面白そうですね。佐竹靖彦さんの本、読んでみます。
by Kay-akira_Hirota (2007-02-28 21:33) 

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