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古代中国の宇宙論 [本(東洋史]

『古代中国の宇宙論』
浅野裕一(中国哲学者)
岩波書店(2006)


出土資料の宇宙論比較。古代人の宇宙観を知る。

班固の道家論、漢書の芸文志
栄枯盛衰の歴史変遷を省察し
清虚と卑弱という根本を守れる
君主の統治技術だという。
これを完全に実践したといえるのが光武帝劉秀である。

鄒衍は、管楽器を用いた呪術、吹律によって、
体内の気息に力を込めて楽器で外界に出して
燕国の寒冷な気候を温暖に変えたという。

『王莽-儒家の理想に憑かれた男』
東晋次(東洋史、後漢時代史)
白帝社(2003)


王莽の実像に迫る良書。丁寧に書かれている。

胡適の王莽論:1900年前の社会主義者だという。
確かに。王莽はたくさんの規制を作った
大きい政府だからね。
光武帝は王莽の学問の重視を受け継いだが、
財政方針は全く正反対とした。

光武帝は太学でなく私学かもしれないという。
確かに太学に通うほどエリートとは思えないもんな。
東大じゃなくて早稲田でした、って感じだろうか?

班固の東都賦:四海の内学校は林の如く庠序は門に盈つ。
後漢の学問の隆盛ぶりがよくわかる賦である。

字を覚えて最初に学ぶのが孝経と論語。
光武帝は兵士に孝経を学ばせたことで有名である。

謡とは知識人が児童や庶民に託して政治批判するものだが、
王莽に批判的な謡が見あたらないという。
それだけ王莽は支持されていたのだ。

地方からの訴訟など公文書の処理をすべて自分で決済した王莽。
始皇帝とも光武帝とも同じだな。独裁者は辛いね。

著者は、光武帝をという執筆誘いを断り王莽を書いたという。
何で研究者は劉秀くんを嫌うのさ?

『古代中国-驚異の知恵と技術』
佐藤鉄章(作家、古代史家、東洋史、日本史)
徳間書店(1988)


作家らしい雑学的中国科学解説。

易の定義
簡易・変易・不易の三要素の変易を
対称とする数理哲学分野の判断学
だそうだ。

私は最近、ランダムの論理学ということを考えているので、
易が少し気になる。易と弁証法の関係とか。

『ソウル』
姜在彦(歴史家)
文春文庫(1998)


多角的かつ面白い。韓国を知る名著。

性理学
四端:惻隠・羞悪・辞譲・是非
七情:喜・怒・哀・懼・愛・悪・欲

性理学って、理論心理学ってことかねえ。

朝鮮通信使一行の行列を観覧する日本人、
その規律の高さは軍法のようだと記録される。
日本人の規律性か。
異姓の混じる村とその村祭りなどで、
規律が鍛えられる伝統があるからかな

李退渓の自省録、朱子書節要、聖学十図は日本でも有名。
読んでみたいが、ハングル版しかないようだ。
ハングルまだ辛いな。漢文のままの方が速く読めるのにな。

ソウルの人口は李朝の頃は20万。
江戸時代の江戸と北京は100万。
人口は、朝鮮は日本の半分、中国は10倍。
江戸時代における日本の経済発達がはっきりわかる。

『東洋におけるヒューマニズム』
吉川幸次郎(中国文学。唐詩)
講談社学術文庫(1977)


薄い本。東西の思想の違いを知る。

朱子:人間は物質・神は迷信で人間への冒涜。
朱子は唯物論者だったのか。

書経:人間は万物の霊長
人間優位の伝統は根が古い。

アリストテレス:詩は普遍を説き歴史は個性を描くという。
歴史では一回きりの個別が描かれるのだ。

『朝鮮芸能史』
李杜鉉(韓国人の民俗学者)
東京大学出版会(1990)


時代別に百戯、パンソリ、
仮面劇、人形劇など。



『李退渓』
阿部吉雄(支那哲学、李退渓研究)
評論社(1977)


日本におけていかに李退渓が
尊敬されていたかを知る

第二の王仁・李退渓、
朱子は孟子や伊川に、
李退渓は顔子や程明道に似る。
すると李退渓は、顔回、鄧禹、
房玄齢の系統なわけね。

李退渓の言葉
自己を捨てて人に従うことのできないのは、
学ぶ者の大きな欠点である。
天下の義理は窮め尽くすことはできないのに
どうして自分だけが正しく、
他人が間違っているということができようか。

学ぶ態度の難しさだ。

江戸時代、藩校280、寺子屋や私塾は25000-40000と
教育が非常に進んでいた。

『東西文化とその哲学』
梁漱溟(現代新儒家学派)
農山漁村文化協会(2000)


西洋、インド、中国の思想の比較。

西洋の精神は科学と自由、
サイエンスとデモクラシー。
中国では科学もデモクラシーも
生まれようがなかったという。
同意できないね。

『項羽と劉邦の時代』
藤田勝久(中国古代史)
講談社メチエ(2006)


最新の出土資料を交えて語る良書。

楚の懐王は領域拡大の時代だった。
史記で描かれる暗愚さは片面的なのだ。

秦には隠官というものがあり、
趙高は宦官ではないかもしれないらしい。

項燕が楚王に立てた昌平君とは、ロウアイの乱を平定した楚の王族。
扶蘇は母が楚の王女で胡亥の母は趙の王女。
だから、陳勝らは項燕と扶蘇というわけ。

項羽を破ったのは韓信とその部下の潅嬰で、
領土、大義名分と民望、功績いずれも韓信は劉邦より上だった。
韓信が劉邦の部下足り得ることはできないのだ。
光武帝や唐太宗の家臣ぐらい名将がたくさんいれば、
一人に集中しないようにローテーションが組めるんだけどね。

『中国歴史小説研究』
小松謙(中国文学)
汲古書院(2001)


歴史小説の成立を知る。
劉秀伝説の荒唐無稽さに驚き。

二十八宿帰天
紫微星の生まれ変わり劉秀が
二十八宿の生まれ変わり二十八将を殺す。
史実と正反対じゃん。
劉秀伝説は竹取物語と同じ貴種流離譚なので、
最後は天に帰る必要があり、
こうなってしまうらしい。

劉秀が王莽の軍に追われて逃亡する伝説が河南一帯にあるという。
三鴉路は、劉秀をカラスが導いた場所だそうだ。
劉秀というと、逃げ回るというイメージがあるようだ。

隋唐もの歴史小説の山西系と山東系の対立。説唐と隋唐演義。
単雄信の死に様の二系統もそれだという。
これって、既に新旧の唐書に両方とも記載されているんだけど、
気づいてるのかな?

・今日の一言
西洋の精神は自由と科学である。
The spirit of the west is freedom and science.
서양의 정신은 자유와 과학이다.
西洋的精神是自由思想和科学精神。

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コメント 1

武侯仁従

>最後は天に帰る必要があり、こうなってしまうらしい。

星だから?かな?

王莽は、建国当初は声望たかく支持されていたと思います。ただ建国後は如何か・・・。

表紙絵の牛もいいですね。竹中半兵衛の前に光武帝というか。

>地方からの訴訟など公文書の処理をすべて自分で決済した王莽。
始皇帝とも光武帝とも同じだな。独裁者は辛いね。

それなりに真面目で無いと独裁者はできない!現代の独裁者は王莽くらいみならわないとな!

再見!
by 武侯仁従 (2006-11-28 15:59) 

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