人称的世界の倫理 [本(哲学思想]
『人称的世界の倫理』
大久保正健(哲学者)
勁草書房(2005)
時間論の考察が意外と面白い。
線を分ける境界は点、面を分ける境界は線、
立体を分ける境界は面。
すると、四次元世界の境界は立体かも、
というのが、現代物理学の考え方らしい。
私はむしろ時間を空間より根源に置き、
時間を分ける境界が点ではないかと想像する。
普通は0次元の点、1次元の線、2次元の面、3次元の空間、
そして、4次元の時空間と広がるわけだが、
むしろ、0次元が時、1次元が時点、2次元が時線、3次元が時面、
そして4次元で時空間と考えるべきではなかろうか?
しばしば2次元の世界の住人から見ると、
相手の上は乗り越えられず、
迂回しなければならないといった空想をする。
しかし、このとき既に動くという時間が想定されている。
既に時間が含まれているのではないか。
時間を含めない理由は、
我々は時間を自由に行き来することができないためだろう。
しかし、我々は空間を本当に自由に行き来しているのだろうか。
アインシュタインの相対性理論は、時間と空間が分離不能で、
空間点ごとに時間が特異であることを示した。
物質の存在は空間の状態である。空間の励起状態として物質がある。
物質は一定の振動数を持つ。すなわち、空間には時間がある。
数学は物体から切り離して取り扱うが、
どうしても一種の行動イメージは分離できない。
線はなぞることができる。
意識の志向性は幾何学的対象も動的なイメージでとらえている。
動的とは、すなわち時間を含んでいる。
どこまでいっても時間を切り離すことができないようだ。
『哲学の課題』
樫山欽四郎(哲学者)
講談社学術文庫(2004)
ドイツ哲学の本。
自らの知識に結びつくところがないのでどうにもならず。
本の内容がわかるとは、その推論内容の入口と出口を知り、
自らに結びつけること。
この本は私にとって、入口=問題意識についての知識が不足し、
出口もまた自分に結びつかないほど離れているので、
また必要な知識を入手したときにでも読もうと思う。
『ベルクソン』
篠原資明(哲学、美学)
岩波新書(2006)
難解。
ゼノンのパラドクス
運動と通過した空間の混同。運動の軌跡は動かないのは当然。
自由と決定論の問題。
どちらも時間の空間化の誤謬を含む。
時間の進行を空間の軌跡と取り違えているのだ。
『人間科学の哲学』
山口裕之(哲学者)
勁草書房-双書エニグマ(2005)
認知科学、哲学、言語学を結び"意味"について知る良書。
意志は必然的な仕方で決定されるという。
自由意志とは決定論であるのだ。
非決定論の世界には自由も意志もない。
経験哲学における知覚の成立と意味の成立の混同。
意味が成立しないと知覚もしていないという混乱があるのである。
『ベルクソンとバシュラール』
マリー・カリウ(哲学)
法政大学出版局(2005)
二人の哲学者の科学認識論。
バシュラール
科学は念入りに仕上げられた直観の成果。
ベルクソン
科学は中断した意識。
物理学は逆向きになった心理学。
科学や物理学は停止を際立たせる。
『否定の哲学』
ガストン・バシュラール(科学認識論学、詩論、物質的想像力論)
白水社(1998)
科学認識の段階論。
自然科学の哲学=基本思想とは、
原理を止揚しながら適用される唯一の哲学、唯一の開かれた哲学。
科学的認識の哲学的進展
アミニズム⇒実在論⇒実証主義⇒合理論⇒複合的合理論⇒
そして弁証法的合理論。
武谷三男の科学段階論と似てるな。
大久保正健(哲学者)
勁草書房(2005)
時間論の考察が意外と面白い。
線を分ける境界は点、面を分ける境界は線、
立体を分ける境界は面。
すると、四次元世界の境界は立体かも、
というのが、現代物理学の考え方らしい。
私はむしろ時間を空間より根源に置き、
時間を分ける境界が点ではないかと想像する。
普通は0次元の点、1次元の線、2次元の面、3次元の空間、
そして、4次元の時空間と広がるわけだが、
むしろ、0次元が時、1次元が時点、2次元が時線、3次元が時面、
そして4次元で時空間と考えるべきではなかろうか?
しばしば2次元の世界の住人から見ると、
相手の上は乗り越えられず、
迂回しなければならないといった空想をする。
しかし、このとき既に動くという時間が想定されている。
既に時間が含まれているのではないか。
時間を含めない理由は、
我々は時間を自由に行き来することができないためだろう。
しかし、我々は空間を本当に自由に行き来しているのだろうか。
アインシュタインの相対性理論は、時間と空間が分離不能で、
空間点ごとに時間が特異であることを示した。
物質の存在は空間の状態である。空間の励起状態として物質がある。
物質は一定の振動数を持つ。すなわち、空間には時間がある。
数学は物体から切り離して取り扱うが、
どうしても一種の行動イメージは分離できない。
線はなぞることができる。
意識の志向性は幾何学的対象も動的なイメージでとらえている。
動的とは、すなわち時間を含んでいる。
どこまでいっても時間を切り離すことができないようだ。
『哲学の課題』
樫山欽四郎(哲学者)
講談社学術文庫(2004)
ドイツ哲学の本。
自らの知識に結びつくところがないのでどうにもならず。
本の内容がわかるとは、その推論内容の入口と出口を知り、
自らに結びつけること。
この本は私にとって、入口=問題意識についての知識が不足し、
出口もまた自分に結びつかないほど離れているので、
また必要な知識を入手したときにでも読もうと思う。
『ベルクソン』
篠原資明(哲学、美学)
岩波新書(2006)
難解。
ゼノンのパラドクス
運動と通過した空間の混同。運動の軌跡は動かないのは当然。
自由と決定論の問題。
どちらも時間の空間化の誤謬を含む。
時間の進行を空間の軌跡と取り違えているのだ。
『人間科学の哲学』
山口裕之(哲学者)
勁草書房-双書エニグマ(2005)
認知科学、哲学、言語学を結び"意味"について知る良書。
意志は必然的な仕方で決定されるという。
自由意志とは決定論であるのだ。
非決定論の世界には自由も意志もない。
経験哲学における知覚の成立と意味の成立の混同。
意味が成立しないと知覚もしていないという混乱があるのである。
『ベルクソンとバシュラール』
マリー・カリウ(哲学)
法政大学出版局(2005)
二人の哲学者の科学認識論。
バシュラール
科学は念入りに仕上げられた直観の成果。
ベルクソン
科学は中断した意識。
物理学は逆向きになった心理学。
科学や物理学は停止を際立たせる。
『否定の哲学』
ガストン・バシュラール(科学認識論学、詩論、物質的想像力論)
白水社(1998)
科学認識の段階論。
自然科学の哲学=基本思想とは、
原理を止揚しながら適用される唯一の哲学、唯一の開かれた哲学。
科学的認識の哲学的進展
アミニズム⇒実在論⇒実証主義⇒合理論⇒複合的合理論⇒
そして弁証法的合理論。
武谷三男の科学段階論と似てるな。
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